2016年05月06日
父の授業を受けてきた。
随分前に書いたコラム。
以前のウェブサイトごと消えてしまっていたのでこちらに転載しまーす。
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「父の授業を受けてきた。」
先日わたしは生まれて初めて父の授業を受けてきた。
父は某私立大学で長年教鞭を執っている。
一度はその授業をのぞいてみたいと思いつつ今まで機会がなかったが
ひょんなことで知り合った友人が偶然父の教え子だったので
これを機会に行ってみようということになったのである。
わたしの父は実の娘から見てもかなり面白い人物だ。
真面目で人一倍正義感が強く、情に厚い江戸っ子。
許せない、おかしいと思ったことに対しては
爆発的なパワーで怒りまくり手が付けられない状態になるのだが
機嫌がよい時は無邪気で話し上手、気っ風のいい魅力的な人だ。
父は機嫌を損ねない限りいつもたいてい絶好調なので
どこでも快活に、満面の笑みでスーパースターのように現れる。
何だか知らないがやたら堂々としているためどこに行っても目立ってしまい、
どこに行っても主役のような扱いを受け、
2度目に訪れた店では「先生!お待ちしていました」とすでに常連扱いだ。
そんな父はわたしの友人の間でも有名人。
他でもなくそれはわたしの話に父が頻出するからなのだが
確かにわたしはこの父に多大な影響を受けて育ったことを自覚している。
だからといって先日尊敬する人の口から
「高遠さんはお父さんみたいな人とケッコンしたいんだよね」
という言葉を耳にした時は、本当に椅子から落ちそうになった。
違う違う違う、それは逆!
わたしは怒らない人とケッコンしたいんです!
と大まじめに抗議したのであった。
父は孔子のような人だ。
と9つ離れた姉は言う。
わたしには2人姉がいるのだが、わたしたち三姉妹は
孔子によって徹底的に厳しく育てられた。
学生時代の門限は11時(姉の時代は9時)。
その時間に間に合やいいってもんじゃなく、
夜遅くなんかに帰ってきた輩は反省して皿洗いでもすべきであり、
娘たる者毎日朝は母親より早起きして
家の周りを掃き掃除でもするのが当たり前という小津安二郎な世界。
友人達には「鎖国してる」などとからかわれていたが
とにかく2日に一度は誰かが父の大目玉を食らい泣いているという
アツイ家であった。
また父はわたしが小さい頃はいつも着物を着ていて
ふんどしを愛用していた(現在形か?)ことでも有名だったが
そんな父の専門は日本思想史。
近年は主に葉隠の研究をしており武士道についての著述が多いので
わたしの友人達が集まるパーティーに父が遅れたときなどは
友人達(みなさん大人です)が皆、
「お父さんまだかな、馬に乗ってくるのかな」
「刀がつかえて関を越えられないんじゃ?」
とわくわくして待っていたくらいだ。
父ネタは書き出せばキリがないのだが
とにかくわたしは今回、何ヶ月も前に実家に電話し父にお伺いを立て
月曜日の午前中、友人と二人で一般教養の授業に潜り込んだ。
大学を卒業してだいぶ月日が流れたわたしと友人は、
周りから相当浮いているのではないかとドキドキしながら始業を待っていた。
バタン!と勢いよく颯爽と教室に入ってきた父。
仕立てのよいスーツにセンスのいいシャツとネクタイ。
相変わらずおしゃれだが、片手に風呂敷包みというところが
父らしいダンディズムである。
わたしたちを見つけ、口を曲げてなんとも可笑しそうな顔をしている。
わたしも照れくさくて可笑しくて、うつむいて笑いを噛み殺す。
父の授業が始まった。
ここから先はなんというか、あまりうまく書く自信がない。
わたしはすっかり感動してしまっていた。
素晴らしい授業だった。
内容的なことを言うと、
その日の授業は室町時代の芸術と美意識についてであった。
特に世阿弥の話は面白く、つい頷いてしまうほど引き込まれた。
父のやや毒舌でメリハリの利いた語り口も魅力的だったし
「遠国田舎の賤しき眼」や「しおれ」、「間」についてなど、
歌を歌っているわたしには特に興味深く、メモをとりつつ真剣に聞いてしまった。
出席を取らない父の授業は学生の数も当然少ないのだが、
その代わり本当に父の話を聞きたい者だけが集まっているらしく、
今時どこにこんな学生らしい学生がいるだろうかという、
澄んだ瞳をした清々しい若者揃い。
わたしはヘタに学生風を気取らず敢えて普段の格好で行ったのだが、
メイクはおろかカラーリングすらしていない素朴な学生達の中では
嫌でも目立っていただろう。
そんな彼らに、父はあたたかく厳しく、愛情を持って語りかけていた。
それはまさにわたしたち三姉妹が長年受けてきた「授業」と同じだった。
「きみたち」を「おまえたち」、「〜です」を「〜だ」に変えたら
ウチで聞いてるお説教と同じだな・・と思った。
家ではただただ恐ろしく、逃げ出したいだけの父のお説教だが
こうして教室で聞いてみると、
そりゃあ出席取らなくても聞かなきゃ損だよな、という面白い内容だった。
わたしは素晴らしい教育を毎日自動的に受けさせてもらってきたわけである。
父はクールな人ではなく熱い人だ。
今学生達に正面から語りかけているように
自分の家族にも毎日毎日何十年も、正面からぶつかってくれた。
怒ったり泣いたりも多い代わりに、仲が良くみんなおしゃべりで
笑いが絶えなかった家庭であったのは父のおかげだろう。
そして、わたしが生まれた時も、幼稚園の時も高校の時も
父はこの大学でこうして学生達に語りかけていたかと思うと
わたしは泣いてしまいそうだった。
あの教壇に立っている父の元に生まれ、育ててもらったのだと思うと
ありがたくて泣いてしまいそうだった。
そんなわたしの感傷はおそらく露知らぬ父は
授業が終わった後、上機嫌であそこもここもと構内を案内してくれ
大学前の鮨屋でわたしと友人に大阪鮨を御馳走してくれた。
大学内でも鮨屋でも、相変わらず声が大きく愛想が良く
遠くに見つけた知り合いに快活に「やあ〜!」と語りかける父。
わたしは可笑しさと嬉しさと照れくささでニヤニヤしながら
それを眺めていた。
来て良かったと思った。
この日のことは、わたしにとって忘れ難い素晴らしい体験であったのだが、
しかしこんな話もある。
父と別れた後、友人が言った。
親子って恐ろしい、あんなに彩ちゃんに似てるなんて、と。
別れる間際、父は構内の閉まりかけたエレベーターに悠然と歩み寄りつつ
「ああ〜ちょっとちょっと、」と言ったが
伝わらなかったのか閉まってしまった。
その閉まったエレベーターに対して父は
「た〜の〜む〜!」と叫んだのだ。そんな人見たことない。
扉は開き、それもびっくりだったが更なる驚きは
その後父が乗り込もうとしたら何故か扉が急に閉まり、
父は扉に肩から体当たりしたような形になった。
かなり大きな音がしたので周りの人たちはぎょっとしていたが、
父は一人堂々と涼しい顔。
わたしはまたまた可笑しいやらびっくりやらだったのだが・・・
それのどこが似てるんじゃー!
「だって彩ちゃん、どこでも大股でずんずん歩くし
道路では車に向かって歩いていくじゃん・・」
・・・そう言えばよくそう言われるなあ。
まあいいや、父の遺伝なら、それも嬉しい。
そんな風に素直に思える帰り道であった。
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