老舗の魅力。
一概には言えないが、
東京の「老舗の蕎麦屋」というと、ある一定のイメージがある。
いかにもそれらしい趣のある構えで、
接客のプロの花番さん達が甲斐甲斐しくサービスしてくれ、
蕎麦は手打ちでなく機械打ちとか手ごね機械切りの二八蕎麦、
一年365日いつでもビシッと安定した「店の味」が提供され、
中休みなしなのでのんびり昼酒が楽しめるとか
蕎麦も肴も器も酒も「定番の美しさ」が堪能できるとか
とにかく老舗でしか味わえない粋な時間がそこにある、
そんなイメージだ。
中には江戸時代から続く店もある。
100年余もの間伝統を守り抜くということは
時代も客もうつっていく中で並大抵のことではないだろう。
「江戸蕎麦手打處 あさだ」も東京が誇る老舗蕎麦屋の一軒。
創業安政元年。
実に160年の歴史を誇り、現店主は八代目という老舗である。
ところがこの「江戸蕎麦手打處 あさだ」は
老舗としての凄さだけではない、稀有な名店なのだ。

雨の似合う美しい外観。
大通りのビル街にありながら、その風情はさながら浮世絵の如く。
鍵付きの傘立てには何十本もの傘が並び
扉の奥からは客席の賑わいが漏れ聞こえてくる。
看板には「江戸蕎麦手打處 あさだ」。
メニューには「自家製粉石臼挽き 十割蕎麦」とある。
江戸で老舗で、なのに二八じゃなくて十割・・?
この辺りからも是非ともワクワクしていただきたい店なのだ。
店に入るとさすがの大賑わい。
白割烹着を着た礼儀正しい店員さんがスッと現れ
「いらっしゃいませ」とホテルマンのようなサービスで迎えてくれる。
知らない人は、まさかこの人がここの八代目店主とは思わないだろう。
蕎麦を打っているのはもちろんこの店主だが、
最近は客席を担当することも多いらしい。


私は冷蔵庫の前のこの席に座ることが多いのでついこの写真を撮ってしまうのだが
「江戸蕎麦手打處 あさだ」には美味しそうなお酒が沢山ある。
なんといっても八代目店主は利酒師。
この冷蔵庫に見えているものだけでなく
「菊正宗樽酒」「立山」「田酒」「磯自慢」「飛露喜」
「〆張鶴」「八海山」「獺祭」「黒龍」等々、
メニューには非常に危険な銘酒がたくさん!!
いやー、偉そうなことは何も言えない「酒量だけは小鳥」な私ですが
ここのセレクションは素晴らしいと思います!!
しかも更に危険なことにここはおつまみがまた大変にすんばらしい。
メニュー本にもぎっしりと定番メニューがある上に
その日その日で
「◯月◯日(曜日) 今夜のおすすめ料理」
というこんなすごいメニューがあるのだ!
どんだけ贅沢なんですか!!

美味しそうなメニューがズラリ。
しかも全てのメニューに産地が書いてあるというのが凄い。
毎回とても気になっていたのでついに本日聞いてしまったのだが
この美しいメニューを毎日書いているのはなんと七代目なのだそうだ。
これには本当に驚いた。
せっかくですので「今夜のおすすめ料理」より。
「春野菜のお浸し」

料理本の表紙にしたいような美しい景色。
見た目だけでなく、このおひたしの美味しさに私は感動してしまった。
うるい、菜の花、わらび、ふき、ホワイトアスパラ。
まず吹き抜ける山椒の香り。
その後やってくるそれぞれの野菜のベストな食感、くっきりとした冷たさ加減、
山菜ならではの山の香り、そしてそれを際だたせるようなすっきりとした出汁加減。
何もかもが素晴らしい。
この小さな一皿で春山を転げ落ちた気分になった!
「合鴨ロース赤ワイン煮」

これまた見るからに美味しそうすぎる。
色っぽさを感じるほどにしっとりと柔らかな肉質。
これが美味しいーー!
私は東十条「一東菴」の鴨ロース煮の大ファンであるが
ここのはそれをしっとりひらりとさせた感じ。
見るからに美味しそうで、食べて美味しく、
噛んでいるうちに口の中で美味しさが高まり続けて
だんだん可笑しくなってきてしまうほど。(我ながらおめでたいのう)
「自家製粉 石臼挽き そばがき」

お湯の中で身を寄せ合うかわいらしい姿。
この御方がまた、お外に飛び出すと迫力の粗挽きぼこぼこ肌!

おお〜
しかし試しにひっくり返してみると

アラッ 別人のような端正な姿。
おもしろい〜(^^)
ほんのり浮かぶ粗挽きの粒の風情が美しい。
香りは正統派の、慎ましく淡いかぐわしさ。
もにょほにょ〜としたやさしい微粉の肌の中に
荒い大きな柔らかい粒が散らしてあるような舌触り。
そこから深い味わいがひろがるのが嬉しい。
「せいろそば」

老舗らしい黒塗りのせいろの中、くっきりはっきりとした輪郭線が美しい。
蕎麦粉は主に北海道と茨城だそう。

これだけくっきりとした見た目、その上思いきり冷たくしめられているにもかかわらず
「江戸蕎麦手打處 あさだ」の蕎麦は驚くほどなめらか。
印象はどこまでもなめらかで柔らかいのだが
簡単に最後まで噛み切らせるような柔らかい蕎麦ではなく
噛み締めるとクニュッとやさしいコシがしっかり受け止めるのがニクイ。
十割とは思えないほどツルツルと滑らかなコシ。
これが現店主八代目が伝統を打ち破り独自に始めた「十割の江戸蕎麦」なのだ。
実は先程二階の宴会が終了し、その酔客の一人が
「蕎麦になんか入れてない?ふのりかなんか入れてない?」
と店主に何度も聞いていた。店主は控えめに
「入れてません・・いえ、入れてません」
と答えていたがその酔客の疑問も不思議ではないほど
ツルリッと食べられる江戸な十割蕎麦。
香りは、思い切り冷たくしめられていた最初は北海道らしい野性味を強く感じた。
しかしゆっくり食べすすむうちに香りがなんともいい具合に膨らみ
ふっくら豊かな幅のある、甘く香ばしいかぐわしさとなった。

蕎麦湯が濃厚で、しかとてもいい粉を溶いてくれているらしく蕎麦粉味が美味しい。
こんなところも老舗らしからぬサービス。
そこにこっくりと濃厚、江戸らしい甘辛汁。
ああしあわせだなあ ヤラレちゃうなあ〜

今回はメニュー書きや店内の張り紙が全て七代目の書と知って
その才能に驚かされたが、最後にもうひとつのビックリが!

いつも綺麗だなあ〜と見ていたこの和紙のメニュー本は
なんと八代目の手作りだったのだ。
一冊一冊、細部まで細かく美しく出来ていて
普通に「手先が器用」というレベルではない、完璧な仕上がり。
江戸の昔から蕎麦打ちという細かな作業を極めてきた職人の家系ならではの器用さなのかと思うととても興味深い。
何でも業者に外注に出すことの多い昨今、
親子二代の手作りで店の中をこれだけ完璧に美しく整えていることに感動させられた。
東京の「老舗の蕎麦屋」という一定のイメージがある。
しかしその扉の中には、それぞれの世界がひろがっている。
東京が誇る名店「江戸蕎麦手打處 あさだ」である。
あさだのようなお江戸らしいお蕎麦屋さんは確かにお江戸にしかありませんが私は各地方のお蕎麦屋さんも大・大・大好きです!