
2月も末の28日、小雨しとど降る寒い午後。
幼い頃から馴染みの深いこの店の暖簾をくぐる。
「いらっしゃいませえー」
何もかもが、いつもと同じ。
それがかえって胸に迫る。

座敷に座れば
新聞いかがですか、と朝日新聞をポンと机に置いて行ってくれる。
「ざる一枚」。
天声人語を読んでざるを待つ。


ほっとする、いつもの味。
たぐりあげればおっとっと、
そこいらの蕎麦屋よりずっと蕎麦が長いから気をつけなくっちゃいけねえ。
昔の蕎麦はみんなこうして長かったんだ。
箸にはちょいと、3本も引っ掛けりゃ
口にへえる頃にゃちょうど一口ってもんだ。
そう、ここは季節を通してだいたいいつも同じ味だ。
真ん中を太く貫くようなしっかりとした風味。
噛み締めた歯と歯の間でのびるような、しなやかなコシ。
「並木藪蕎麦味」の蕎麦としか言いようがない。
休日の昼間などは行列もできているが、
時間を狙えばのんびりできる。
今日などは、
狙っても混んでいるかと思いきやこの通りだ。

何が終わるわけでもない。
11月になれば、またこの蕎麦には会える。
この黒電話もそのまま残してくれるらしい(と今日聞いた)が、
でももうこの帳場にはもう会えない。

この柱も、壁も格子戸も。
たくさんの人の想いの詰まったこの建物が壊される音は聞きたくない。
ただ、新しい「並木藪蕎麦」に会える秋を
のんびり楽しみにするとしよう。

*高遠彩子3月〜5月のライブ出演予定*
今のように蕎麦屋で昼酒が認知される遙か前から蕎麦屋の昼酒を楽しませてもらっていました。白状すれば十代の頃から・・・それも未成年のころから・・・
「鴨ヌキ」「天ヌキ」なる今でこそ認知された隠れメニューを教えてくれた伝説のオバチャン・・・音もたてずに食べる姿を見ると私の耳元で「・・・・」
考えれば私の蕎麦屋歩きの原点かもしれない、いやっ、原点です。
とても不思議なのは、何十回となく行っているというのに、いつ何時も不思議な緊張感(高揚感?)をもってお店の片隅に居ること。
何でなんだろう?目に見えぬ香りかな・・・
あの薦被りをボ〜〜ッとした目で仰ぎながら、蕎麦味噌を舐め一献、わさび芋をわさび海苔で巻いて一献、鴨ヌキのつくねで一献・・・思い出される色々な事・・
どんなお店になるのかな・・・時の作り出した色・匂いを脱ぎ捨てた時
新しいお店も、不思議な緊張感(高揚感?)、そして心底ホノボノ、そして何より私の原点のままであって欲しいな。
勝手な私の夢ですが。
最終日、仕事の合間に、この私が蕎麦前無しで蕎麦を食べようと行ったが、悲しいことに並ぶ人が・・
でも、あの建物を、お店を、心に焼き付けてきました。
羨ましいな、行けた事
而酔而老さまの原点だったとは、知りませんでした〜。
>この私が蕎麦前無しで蕎麦を食べようと行ったが
この一文で而酔而老さまにとっていかに大切な店、大切な日だったかがわかりました。びっくりしました(^_^;)!!
でも心に焼き付けられてよかったですね。「目で撮った写真」が一番心に残りますね。
オッ 惜しいっ!
こう書いて欲しかった
「でも心に焼き付けれてよかったですね。「心で撮った写真」が一番残りますね。」
「目で写真」は学生時代、テキトーイマドキ風先輩が、テキトーな感じでぽろっと言って返って心に残った大切な言葉だったのですが「心で写真」ですかぁ!負けましたぁ〜