10年程前なのか、それともそれ以上なのか。
まだ私がパソコンというものを
持っていなかった頃のことである。
ある夏の朝、私は新聞の片隅に、
元横浜市長の某氏が書いた小さな記事を偶然読んだ。
その中に
「横浜の東神奈川駅のそばに、かつての部下が
実にうまい、いい手打ち蕎麦屋をやっているのだが
不況の昨今、本当にいいものでも
商売には難しい時代であるらしい」
というようなくだりがあった。
なにー!それは聞き捨てならない。
当時から既にシステム手帳が「蕎麦手帳」化していた私は
「ボール取って来い」と言われた忠犬のごとく
すぐにでも走りだしたい気持ちに駆られた。
しかし今でこそ「じゃあネットで調べよう」
と話は簡単なのだが、何せ当時は何も手立てがない。
ではどうするか。
今思えば、何も持たぬ者のパワーって恐ろしい。
(と言うより自分の食い意地、蕎麦意地が恐ろしい)
「何だかわかんないけどとりあえず行ってみよう!」
と無謀にも一切の情報も持たぬまま名前もわからぬ蕎麦屋を探しに
電車に乗って東神奈川駅に降り立ったのだ。
しかし「東神奈川」、私鉄駅ではなくJR駅。
駅前には第二京浜が走っていて区画が大きく、
こちょこちょと駅前商店街があるような私鉄沿線とは訳が違う。
大型トラックが行き交う駅前は広々して
どのあたりにありそうか見当もつかない。
途方に暮れていても仕方ないので
とりあえず闇雲に歩きまくった私。
お蕎麦屋さんがあると、その店構えを睨み
「む・・!お主か、お主なのか、違うのか」
と斬るか斬られるかの無言問答を交わし意を決して入店した瞬間、
アリャーこりゃ絶対違うよ(でももう後には引けぬ)
「つけとろ1枚ください」・・・・
といった失敗も。
(もりでなく、好きな種物を美味しく食べた方が確実に幸せな店もあるのだ!)
そんなわけで結局一日では見つからずまた後日出直し
今度は交番のおまわりさんを味方につけ
交番にある駅周辺の拡大地図を見せてもらって1軒1軒をワンワンわわん!と嗅ぎまくり
ようやくようやく探し当てたお店が

ここ。
東神奈川「手打そば 蔵」である。
自分の足で見つけた感激はひとしお。
大喜びでもりそばを食べたものだった。
その後、何度めかにこの「蔵」を訪れた、また夏の日。
例によってもりそば1枚食べた私は、
なんと会計時に、自分がお金をほとんどもっておらず
支払いに30円足りないことに気がついた!!
(私はダメ伝説には事欠かない人間なのだ)
その時の
「あーいいですよ〜、今度で」
と言う店主の、
特に愛想がいいわけでもない、こちらに全く気を使わせない、
実に何でもなさそうなおおらかな態度に、
私はさらにこの店が好きになった。
もちろん30円は翌週返しに行き、
その後も時折訪れていたのだが
ここ数年なかなか行く機会がなく、
今回は久々の訪問であった。
店内は始終テレビの音に占領されている。
客層はサラリーマンから家族連れまで色々で、
子連れ客への対応も家庭的で親切だ。
蕎麦は特に研ぎ澄まされたものでもなければ
洗練されたものでもない。
誠実に打たれた、ほんわかとした、
そしてちょっとダイナミックな味わいの蕎麦である。
しかしわたしは、ここの蕎麦に対峙すると
味わい云々、香り云々より
ただ懐かしく、ほっとするのだ。
あの、この店に出会いたくて歩きまわった夏の日が
そして30円の御恩に与った何年後かの夏の日が、
遠く白い光の中に浮かぶ。
そのまぶしいような懐かしさに目を細めつつ
「ただいま」
と、この蕎麦に帰ってきたような気持ちになるのだ。

味わい云々、香り云々より
ただ懐かしく、ほっとするのだ。
あの、この店に出会いたくて歩きまわった夏の日が
そして30円の御恩に与った夏の日が、
遠く白い光の中に浮かぶ。
遠く輝く夏の日、思い出の彼方に蜃気楼のように浮かぶ日々
私の初恋、いや、昔の恋の全てかも知れない
本の表題「蕎麦こい日記」
良いですね
酔った頭に響くな
而酔而老さまにそう言っていただけるのはとってもうれしいです〜o(^-^)o
ターシャさま
そうです、ちょうどあの頃です。
真面目でやさしい雰囲気の御主人と
良い意味で普通で素朴な感じのお店と蕎麦が良かったんですが、、、
↓
http://cr2c-tsuzuki.dreamlog.jp/archives/3752487.html
あああ・・・・・・・
そうでしたか。
絶句、でございます。
お知らせありがとうございます。
心の中の思い出がゆらゆら揺れています・・・