2010年06月21日

両国「江戸蕎麦 ほそ川」


黄朽葉色に塗り込められたモダンな空間。

最初こそ少々気詰まりに感じたが
この店で憩うペースを見つけた今は、
私にとって豊かなる寛ぎの空間である。


両国という場所もいい。
昼間は国技館や博物館に来た人々で賑わい
夜は打ってかわって静かな街。


何よりこの蕎麦、そして汁である。


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昨日の茨城の、馥郁たる薫り。

「蕎麦は貧困な土地で育つ穀物」と言われてしまうことがあるが
厳密に言えばそれは間違いで
「貧困な土地でも比較的育ち得る穀物」である。
米や小麦同様、肥沃な土地を好むのは植物として当然。


この蕎麦は、正にその茨城の沃土を思わせるふくよかな薫りを
溢れんばかりにたたえていた。


口に含めば、これぞ「ほそ川」。
余裕の軽さ、余裕のコシ。
これだけふんわりとやさしくありながら、
凛々しき品格を失わぬ稀有な蕎麦。
はあー、いつもながら、参ります。


黄朽葉色の洞窟にふうわり浮かぶ、
時間なき時間。


それを裂くように
「えーっ 田舎ないのぉー!?」
と言ったのは私ではない。
向こうのテーブルの女性である。


私も「ほそ川」においてはここのところ
運悪く田舎売り切れが続いているので
今日も大いにがっかりしたのだが、
来た時間も遅いので仕方ない。

せいろを2枚頼めば、産地違いのお蕎麦を出してくれるので
(それも「あれば」だが)
それでしあわせを感じようではないか!



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2枚目の福井は、
福井にしてはやや大人しく優等生な印象。
ガツンとした強烈はないものの、
「ほそ川」の醍醐味である余裕の歯ざわりを楽しむうち
奥深い味わいが口中を染めてくれる。


ここで私が愛するのは蕎麦ばかりではない。
その汁。
これがどうにも肌に合う。

蕎麦を汁につけない私が
汁について語ってもあまり意味はないが
「蕎麦湯を何も入れず飲みつつ、時々チラと汁を舌に載せる」
ことを蕎麦後の無上の喜びとしている私にも、
私なりの好みがある。

汁は「何も感じない汁」がいい。
甘いとか辛いとか濃いとか薄いとか
「カツオーッ!!」とか「しょうゆ〜〜っ!!」とか
何者も飛び出していないものがいい。

という理由で私は「ほそ川」の汁が好きなのである。


そうそう、ここは器の趣味もとても好きだ。
湯呑みなど、キリリと端正な磁器ながら
大きさはゆったりしているものが多いのが
のびのびとした気持ちにさせてくれる。

手びねりの素朴な陶器の湯呑みで大きめのものは多いが、
どちらかと言えば磁器好きの私、
ここの器は毎回見て惚れ、触って惚れ。



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濃厚蕎麦湯をなみなみとたっぷり飲みたくて
ついお湯呑みで蕎麦湯を飲んでしまい
いつもながらほそ川さんすみません・・・(^^;;)








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posted by aya at 20:48 | Comment(0) | TrackBack(0) | 東京の蕎麦>墨田区 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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