散りますと言って散る花はない。
今週、ひとつの名花が人知れず散った。
その花を愛でた人々に散り際を知らせることなく、
かといって隠すこともなく、
だからこそ、ただの通りすがりと言ってよい私などが、
その花びらが落ちる音を聞いた。
その蕎麦に、私は混乱すら覚えたのだ。
他と比べることなどする気も起きなかった。
蕎麦でない「何か」のほうを強く感じすぎた。
香り、味わい、歯触り、喉ごし。
淡いとか濃いとかやわらかいとか硬いとか、
そんな物質的な形容詞を冠することに意味を感じぬ超越したものが、
その皿の真ん中にあった。
私はいきなり禅問答をつきつけられた小僧のように固まった。
これは一体何だ。


例えるなら、儚く繊細にその形を留める古い紗の着物、なのか。
薄闇の中にもその陰影を静かに浮かび上がらせる墨絵の軸、なのか。
否、多分物ではないのだ。
その皿の中にあったものは敢えて言うなれば「美意識」だろう。
そこにあるものの底なき深さを感じ取り、
私は身がすくむ思いがしたのだ。
夜に咲き、そこを通った人にだけ愛され、
ひっそりと散るユウスゲのような。
何でもない風に、ごく当たり前のように散っていった花は、
また別の地でその種をふくらませるのだろう。

風 流るる
水 流るる
時 流るる
心 流るる
流れ来るもの
流れ去るもの
森羅万象
そう
全ては流れの中
自分も流れに身をまかせていれば
さみしくありませんね
われてもすえをとほくみやれば