2018年12月28日
国立「そば芳」
久しぶりの店に来ると、
その店に流れている時間と、
自分に流れている時間というものを思う。
その二つが確かに重なるのが、その店にいる時間なのだ。
前回私がこの「そば芳」の暖簾を出てから
この店にはいろんなことがあって、店は新しくなって
私にもいろいろなことがあった。
私はこの店の蕎麦に会いたくてまたここに戻ってきて
今日もほんの数十分だけ、二つの時間が重なるのだ。
新しくなった店の外観にはなぜか店名がない。
外からは店の中の様子は伺えず
「営業中」と書いてあってもやっているのか不安になる。
ブランコ通りという小さな可愛らしい商店街にはクラシックピアノ曲がぽろぽろと流れ
夕暮れのこの時間はたまたまなのか人通りもない。
少し心細くなりそっと扉を開けてみると、こうなっていた。
店は2階らしい。
2階に上がると小さなカウンターに先客がいた。
店主がいらっしゃいませとぽつりと言って迎えてくれ
すぐ厨房に消えた。
深いけれどすこしかすれたような店主の声。
師走のラジオの音。
年越し蕎麦の張り紙。
ああこんな日はぬる燗に「天ぷら」とか、「かきあげ鍋焼き」とかいいよなあー、
と思いつつ、一人でお酒を飲むほどではない「酒量だけは小鳥」な私。
結局いつものオーダーをして(寝言でも言いそうな「せいろ一枚」)
この店の時間を眺める。
客席は綺麗にととのえられていたが、私の席からは作業スペースが丸見えだった。
年の瀬でやたらに賑やかなラジオの音のせいもあり、店はなんとなく雑然とした印象ではあった。
しかし「せいろ」が運ばれてきて私はハッとした。
時流れて再び対峙した「そば芳」の蕎麦。
その盆の内側の、店主が守り抜いて来た美意識の完全さに
私は心打たれ、しばし見入った。
茶の湯の道具の景色にも劣らぬ、盆の内側の世界。
ストイックなまでにシンプルな木のせいろ。
楕円の盆。箸の置き方。
それぞれに個性的でありつつゆるぎない美を感じるところが
ますます茶の湯を連想させた。
賑やかなラジオの音、盆の外側の世界との対比が鮮やかだ。
極太だった以前からすると拍子抜けするほど、
「やや太」くらいになった「そば芳」のせいろ。
輪郭線もやわらかく、やさしそうに重なっている。
鼻腔を吹き抜ける、深い香ばしさ。
甘くない、男性的な印象の美しい香ばしさの海に引きずり込まれ、
ラジオの音が聞こえなくなる。埋め尽くされる。
噛み締めるとこれまたびっくり、やわらかジューシー!
ジューシーというと聞こえは悪いかもしれないが
ややネチッとした質感ながら重さが全くない、密度を感じない軽やかさで
その軽さがみずみずしさの中にあるため
噛みしめるたびにやわらかジューシーな印象を受けるのだ。
食感は軽いが香りも味わいもずっしり深い。
なんて香ばしい、なんて美味しい、と追いかけるうちに
あっという間に食べ終わってしまった。
蕎麦湯はあらかじめ盆の上にセットされた小さな湯桶に入っている。
蕎麦汁はこっくりと甘めの汁だ。
気がつくと蕎麦を食べる私を店主が面白そうに見ていた。
「お箸、自分のを持ってるんだー」。
話しかけられたついでに
「お蕎麦、細くなったんですね」と聞くと、笑いながら、
「歯が悪くなっちゃって」。
すこしかすれた、深い店主の声。
そうだったんだ・・・
自分の歯が悪くなってしまったから
この店の蕎麦の最大の特徴だった、あの極太をやめたんだなあ
でも、自分が素直を美味しいと思うものを作るっていいな。
店を出た私は
自分が美味しいと思うものをあの場所で作り続けている店主のことを思いながら
また次にここに来る時まで、私の時間を歩き始めた。
復活♡
死んでるんではないかと思われるほどシ〜〜〜ンとしておりましたが、実は期間限定で闘病しておりましたとさ!
キョーレツな風邪のようなものなのですがとにかく劇症型で、高熱+その他症状いろいろ+強い薬の副作用という三敵と三ヶ月間闘いまくり、もうヘロヘロのへなへなでしたが、お蕎麦を食べればこの通り (≧∇≦)/