「はい お待ちどう〜」

ドカーン!
鍋ごとである。
これがかの有名な「わたなべのナベそばがき」。
しかも有名と思っているのは
圧倒的に県外の人が多いだろう。
事実、ここに近い乗鞍に住む親しい知人は
何十年も、週に何度もこの店の前を通りながら
ノーチェックだったそうだ。
無理もない。
こののどかな外観。

道から少し高くなったところにあるので
余計目立たない。
それにしても、このシンプル極まりない木の看板。
紺地に白抜きの暖簾。
赤いポスト。
「普通でいる」ということは素晴らしいですねえ〜
狙ったら絶対にできない、たまらぬ風情。
これでは、ここが魔法使いの店だとは誰も気づかない。
お品書きはこんな具合である。

よく見ると
「ラーメン」「野菜炒め」
なんてのもあるのだが、そばメニューは
「もり」「かけ」「やまかけ」「月見そば」「そばがき」
と実にシンプル。
私はいつも変な時間に行くので
店のおばちゃんは大抵奥の茶の間でくつろいでいる。
愛想はないが、この人が魔法使いワタナベさんなので
そんなことはどうでもいいことだ。
蕎麦とそばがきを注文をすると、
魔法使いワタナベさんは娘さんと思しき人と共に
手際よく動き出す。
すぐに蕎麦が出てくる。


ちゅるり、ふわぁ〜 いい香り!
慎ましいイメージの、正統派の蕎麦のかぐわしさが
濃厚に楽しめる蕎麦だ。
そして「そばがき」なのだが、
その前にまた魔法使いワタナベさんがやってくる。
「食べて、待ってる間。今、来るから」
とドコドコお皿を置いていく。
(よく考えると今日は「蕎麦→サービスのお惣菜→そばがき」と
順番がメチャクチャなのだががこれはいつもではない)

大根とちくわの煮たの。

白菜。稲こき菜と稲こき菜のかぶ。
ああステキ・・・
和む〜・・
眠くなるほど和んでしまうではないか。
しかし眠くなっている場合ではない。
今まさに、台所(と呼びたい雰囲気)からは
ガタゴトッガタゴトッと魔法をかける素朴な音がしているのだ。
魔法、キターッ


ほわ〜〜
たちのぼる、超絶のかぐわしさ。

蕎麦という穀物の香りのいいところを
全てあつめて結集させたようなたくましい香り。
もうもうもう、このままこの湯気と共に
溶けていってしまいたいくらい
どうにもこうにも恍惚のかぐわしさである。
ああ とけるー
脳が染まるー
そして食感がまた素晴らしすぎる。
「ふわふわとろとろ」とかいうのとは違い、
箸先に取り口に入れた瞬間は、
見ての通りのしっかりした感触。
それがほっくりと口に入れると
ほこほこ、ほわわぁ〜
なんともゆっくりとエアリーに溶けるのだ!
そしてその「エアー」がむちゃくちゃかぐわしいのだ!
もう私は安曇の空にぶっ飛んでいってしまいそうだ。
添えられてくるネギダレがまた
よくぞというほど美味しくできているのだが
そばがきが美味しすぎて案の定つけられない。

でもやっぱりネギダレもすごくおいしいのでつけたい。
でもそばがきはそばがきだけで味わいたい。でも、でも・・
こんなにも私の心をかき乱す、なんて罪な「わたなべのナベそばがき」。
もう大分前のことだが、はじめてこの店のそばがきを食べた時
私は本当に本当に驚いた。
そしてきっとこのそばがきは、なにか特別な蕎麦粉を使っているに違いないと思った。
いや、蕎麦も美味しいのだが、それ以上にこのそばがきは
「おかしいくらい」美味しかったので、蕎麦粉が違うのだと思ったのだ。
意を決して聞いてみると、果たして返事は・・
「同じです」。
一回では頭に入ってこないほど理解できなかった私は
ええっ、と聞き返してしまったのだが
「同じです」。
恐るべし魔法使いワタナベさん。
聞くところによると
ラーメン(醤油)も相当美味しいらしいですよ〜