
鴨川の山中に突然現わる不思議な佇まい。
窓のないあの小屋は、ナンダ?

店名は「うっつみあん かせ」と読む。
店の前を国道が走るが車通りは殆どないのであたりはごく静か。
小屋の中の様子は全く伺えず、
うごめくような入り口の装飾は風神雷神がひるがえす雲のようだ。
店に入ってみれば朝一番の店にはまだ客の姿もなく
若い奥さんが「いらっしゃいませ」とにっこり迎えてくれる。
個性的な店構えに緊張気味だった私だが
営業的でない初々しい態度にいっぺんに和まされる。

古民家を改造した建物だけに天井がうんと高く、
風通しが良いのかひんやりした空気が気持ちいい。

まずお通しとして出された、
「海老出汁の卵豆腐」


海老の濃厚な味わいと、さっぱりとした食感のバランスがとてもいい。
お蕎麦屋さんとしては珍しいもてなし。
「不思議な建物の中の時間」が始まったようで楽しい気分になる。
卵豆腐の質感に合わせた皿の選び方も素晴らしい。
「そばがき」

塗の器に張られた澄んだ湯に、半身を濡らしたその姿。
極上とろけるやわらかな肌を箸先につまめば・・
鮮烈に香る!
香り方は鮮やかだが、フレッシュというよりはもう一歩老成したイメージの
強いて言えば野草のような香り。
口に含むと思ったとおりのなめらかな軽さ、濃密なるふわとろ。
私が蕎麦の香りで埋め尽くされる。
店内の照明はひかえめだが、
窓の外には、春。

「せいろそば」


蕎麦を眺めるには神秘的ですらあるライティング。
食べ物を見て「黎明」という言葉を連想する私は相変わらず大袈裟だが本気だ。
自然光が浮かびあがらせる肌のざらつき。
こわれそうに震える貴い輪郭線。
しかしたぐりあげればこわれそうなんかではなく、
むわぁっと生々しいほど、生命力溢れる蕎麦の香りを放っている。
生々しいと言っても非常に品が良い生々しさであるところが素晴らしい。
口に含むと優しいやわらかなコシ。
そこからほうじ茶のような、そば茶のような香ばしさが生まれくる。
滋味が、口中に溢れる。
今日ここに来られて良かった。
若い店主夫妻の素朴な笑顔に見送られ店を出る。
振り返り眺めれば最初に見た印象と同じ、窓のない不思議な小屋。
この中にあの静かな時間が流れているかと思うと
夢だったような気すらする。
また季節を替えて、夢を確かめにくるのだ。
*高遠彩子4月〜5月のライブ出演予定*