- 神奈川・津久井町「蕎麦小屋 つねっさ」
- 渋谷東急東横店「総本家 小松庵」
- 代田橋「手打蕎麦 まるやま」
- 代官山「手打そば 山崎」
- 長野・千曲市「蕎麦処 ひぐち」
- 赤城高原「喜楽庵」
- 長野・東御市「そば家 叶」
- 長野市「手打ちそば処 小杉」
- 長野・佐久市春日「職人館」
- 長野・北志賀「石臼挽き蕎麦香房 山の実」
- 下北沢「手打蕎麦 慶水」
- 群馬・前橋「手打そば 浅川」
- 豪徳寺「あめこや」
- 神楽坂「志ま平」
- 神奈川・本厚木「石臼挽そば 石の森」「手打ちそば 初空」
- 神田「眠庵」(真昼の眠庵)
- 井荻「蕎麦 みわ」
- 六本木「HONMURA AN」
- ライブのお知らせ
- 埼玉・蕨「玄 田むら」
- 静岡・浜松市「陶そば 正」
- 静岡・富士市「蕎麦切り こばやし」
2010年10月31日
神奈川・津久井町「蕎麦小屋 つねっさ」
都心の蕎麦もいいけれど
田舎の蕎麦もいいけれど
近くの田舎は、得した気分。
もう少しで相模湖にも手が届きそうな
相模原の自然の中。
「つねっさ」の可愛らしい「蕎麦小屋」ぶりが
小旅行気分をかきたててくれる。
大きな窓いっぱいの庭の緑。
木の葉と空がこんなところにも。
広々とした窓辺に置かれた蕎麦は、いかにも気持ちよさそうだ。
黒く細かいホシを浮かべた綺麗な細打ちの「せいろ蕎麦」。
端整な細切りだが表面にねばりのあるような、
たくましいしっかりとした歯ざわり。
そしてこちらは土日限定の太打ち、「田舎十割せいろ」。
表面がピカピカとしていた「せいろ蕎麦」とは対照的な、
粗挽きの素朴な肌。
しかし口に含むと思いの外表面はつるつるとして、
噛みしめると粗くプツプツしたものが感じられるのが楽しい。
歯ごたえはしっかりしているが平打ちなのでしなやかに食べられる、
近くの田舎の、田舎蕎麦。
ごちそうさまと店を出れば
玄関の梁の形に縁どられた広い空にはっとさせられる。
お気に入りの温泉も近いし
「蕎麦の香り」より好きかもしれない「山のいいにおい」がするし、
近くの田舎は得した気分。
2010年10月30日
渋谷東急東横店「総本家 小松庵」
副都心線も開通しますます便利になったターミナル駅、渋谷。
その渋谷駅直結、というよりは「駅の真上で」美味しい蕎麦がたぐれる。
こんな便利でありがたいことはない。
「小松庵」があるのは東急デパート東横店の西館。
東急デパート内なのに東急東横線は駅の反対側になるため遠いのだが、
JRや、特に銀座線の近さときたらどうだ。
銀座線降りて改札出たらすぐのエレベーターにふらふらーと乗ると
あらま「小松庵」の前に着いてしまう。
この店は、あらかじめ言ってしまうと値段が高い。
蕎麦は、「せいろ」「生粉打ち」「田舎」とあるのだが
「せいろ」は840円だからまあいいとして
「生粉打ち」「田舎」は1160円である。
せいろ一枚に1160円というのは、ちょっと口に出すのも憚られるような高価格だ。
とは言え店は流行っている。
駒込が本店の「小松庵」、
新宿タカシマヤや丸の内オアゾなどチェーン展開しているが
どの店もマダムやカップル達に大人気である。
大抵は、綺麗な天ぷらや小鉢がなどがついた
2000円以上するようなセットものを、ゆっくりと楽しげに食べている。
これもまた需要のある蕎麦文化なのだ。
こういう店だとはよくわかっているくせに
脳内の新陳代謝が激しい私は毎回ぼんやり忘れて
来る度「た、高い・・・」とのけぞってしまうのだが
それでも今日のような蕎麦を食べてしまうと降参である。
生粉打ちそば、1160円。
つるり、微粉の綺麗な蕎麦。
あまりに整った姿は機械打ちかと見紛うほどで
なんというか、あまり人間味の伝わってこない見た目である。
ところが、箸先にたぐりあげて思わず固く目をつぶる。
こんなにもふんだんに、むわぁーと力強い香りを放ってくれるとは!
しばらく食べないで恍惚としていたい夢の世界である。
口に含むと上から右から左から下から、
押し寄せてくるようなぎゅうううと濃厚な味わい。
王道の完璧なコシと品の良い甘み。
そこに足りないものは何もなかった。
素材が勝負の蕎麦という食べ物の性質上、
どんな名店でもいつも全く同じ味を出せるわけはないし
こういう規模の大きい店は打ち手が変わる可能性が高いので
味はその時々で違うと思っていい。
しかし「小松庵」はとにかく使用している蕎麦粉がよいので
私もそれに期待して行くわけである。
2年前に食べた水府村の蕎麦は忘れられない。
蕎麦粉のよさは蕎麦湯が語る。
お代わりをお願いするのが申し訳ないような
別製の、驚くほど美味しい蕎麦湯。
とか言いながら今日も2回もお代わりをお願いしてしまい
しかも数分後の電車に乗れてしまう、駅上の便利さ。
私にとっては、ありがたい店なのだ。
2010年10月29日
代田橋「手打蕎麦 まるやま」
好きなものに出会った時、
楽しいことがあった時、
できるだけおとなしく嬉しがりたい、といつも心がけている。
そういう人に憧れているのだ。
演奏中の細野晴臣氏のような。
動物は嬉しいのがすぐバレる。
しっぽをちぎれんばかりに振って
鼻の頭をピッカピカに光らせて
首輪が切れそうなほど鼻から先に突進していく犬を見ると、
可愛くて可笑しい反面、どこか耳が痛い・・じゃなくて目が痛いような、
これはマズイと焦るような気持ちになる。
でも好きで好きでたまらぬ、犬より純粋なこの気持を、
落ち着いてつたえるというのはどうすればいいんですか。
やってみます。
「まるやま」さん。
大好きですよ。
ここのおつまみは、ひとつひとつが実に気がきいている。
飾らない、家庭的な印象のメニューながら、
素材の味を生かした洗練の仕上がり。
「素材好き」の私にはどうにもたまらなく・・
・・・・えーとえーと、落ち着いて。
「大好きですよ。」
そしてすでに大人気の新メニュー、「小田巻蒸し」ならぬ「蕎麦巻蒸し」。
ゆでうどん入りの茶碗蒸しである「小田巻蒸し」を蕎麦でアレンジした創作メニュー。
これが、大変に楽しくも美味しい、
心温まり囲炉裏端にでも居るような気持ちになる名品!
大きな豊かな茶碗蒸しをホクホク掘れば
きのこや海老と混ざって現るる御本尊、太打ちの蕎麦。
具沢山の茶碗蒸しの中、
温かい蕎麦の穀物らしい素朴な甘さは
噛みしめるほどに もぐもぐほこほこニコニコ。
(美味しくてついズンズン侵略しちゃってゴメンよまゆきち!)
こんな温かく豊かな気持ちにさせてくれる
日本が誇る素朴なご馳走「茶碗蒸し」と
日本が誇る素朴な穀物「蕎麦切り」を一緒にしてしまったアイデアはもう・・
うー、落ち着いて、落ち着いて・・・
そしてお蕎麦!
何と言っても言わなくても空から槍が降ってもここはお蕎麦!!
あのー
もう首輪ひきちぎって走り出してもいいでしょうか。
だってこの「田舎せいろ」を見てお座りと言われても無理な話である。
どっしり黒々とした粗挽きの肌も見事ながら、
その香りの深さといい、変化して広がる様といい、
たまらないとしか言いようがない。
箸先で感じるトップノートからしてムワァーと力強く、
口に含むと「こうだったらいいな」と願ったそのままのような蕎麦の甘みが
全部やってきてくれるよろこび。
それを噛みしめていくと、最初は力強さが先行していた香りが
だんだんと軽やかさをもって広がり、口中すべてが香ばしく染まり、
うううう・・・
「大好きですよー」。
お隣の小山は、「せいろ」。
美しい・・・
この胸打震わす眺めときたらどうなのだ。
極粗挽きの肌に浮かぶ、純白の夢、グレーの影、オレンジのホシ・・・
「ずっと見ていたい!」と言いながら、手が口が勝手にどんどん食べている。
品の良い、しかし濃厚な、蕎麦の王道のかぐわしさと素朴な舌触り。
もう、私はどうしたらいいのでしょうか。
帰り際には、もう蕎麦巻蒸しの中に入れて食べてしまいたいくらい素敵な店主夫妻に見送られ
(ファン)
落ち着こう、落ち着こうとしたら感情コントロールがおかしくなり
何故かしょんぼりモードのブログになってしまうことがわかったので
今度からは普通に吠えようとおもいます。
大好きですよーーーー!
2010年3月の「手打蕎麦 まるやま」
2010年10月28日
代官山「手打そば 山崎」
代官山は、私が知る限りでも随分変わった。
古くは、先年亡くなった私の大叔母が住んでいたりもして
大叔母は大叔父とともに俳優だったので「芸能人だけに洒落た所に」と思っていたのだが
考えてみれば大叔母夫妻が住んでいた時代代官山の辺りは何もなかったはずだ。
ここ10年程で大きな商業施設がいくつか出来たとは言え
ぱっと見た街の印象はそう変わらないところも多いのだが
まず歩いている人の数が違う。
今日はなにかお祭りですかというくらい、
これが代官山かと目を疑うような大勢の人が歩いている。
一見普通の住宅街のような路地が多いのは変わらないが
どの路地にも何やらお洒落そうな小さな店の看板がちょこんと出ていて
これまた洒落のめした若者がそこから何人も出てきたりする。
そんな中、道端に翻る「手打ちそば」の幟。
いいですねえ〜、唐突なこの風情。たまりません。
店はマンションの二階にある。
入り口には飛び石や玉砂利、竹垣で小さな景色が造られ
下から見上げるとそこだけぽっかりと浮かんでいるようである。
店内には4人がけ、2人がけのテーブル席が全部で4つ。
各テーブルの間隔がかなり広く、
代官山という土地ながらゆったりとした空間だ。
と思いきや、なんとこの店は奥が非常に広くなっていて、
奥にもさらにテーブル席がある。
常連さんなどは奥の部屋で落ち着くのがお気に入りのようだ。
店は、素朴な接客ぶりから誠実さの伝わる、
じつに感じのいい店主が一人で切り盛りしている。
ランチ時はセットメニューもやっているが
私は例によって「せいろ」。
明るい肌の、優等生な印象の蕎麦。
箸先にたぐり食べる前から小さく喜ぶ。
「これは美味しい!」
ふわっと、かぐわしい香りがひんやりと伝わってきたのだ。
見た目はふんわりとした印象だったが
口に含むと意外にもしっかりとした歯ざわり。
たまたま私のところには数本固いのもあったのだが
前にも書いた通り「ばらつき大好き」の私なので
それはもぐもぐ喜んで食べた。
大きめの笊にふんわり盛られた蕎麦は意外と量もしっかりしており
この土地柄にしてこの空間にしてこの蕎麦にして
630円てぇのは良心的すぎやしませんか。
良い店は放っておかれるわけはなく
目立たぬ立地ながら客足は次々と途絶えぬ。
しかもさすがは代官山、客層はほとんどが若者で、
皆様ハイファッションっちゅうかトップモードっちゅうか
スーツ姿の男性にしたって神田辺りとは訳が違います。
光沢生地の細身シルエット、そこに紫ピンクのネクタイ&セルフレームの眼鏡ときている。
特筆すべきは、近所の会社の人らしい常連さん若者グループ。
店に入ってきた時から、全員が全員ニッコニコ、満面の笑みで
「こんにちはぁ〜」と店主に挨拶している。
愛されているんだなあ、と見ている方まで嬉しくなる光景だった。
.
2010年10月27日
長野・千曲市「蕎麦処 ひぐち」
総木作りの美しい家は、のどかな日差しに向かって
胸を張るように潔く建っていた。
家の前は、山を背にした黄金の畑。
家の後ろは住宅街だが、ここは小さな美しき田園である。
静かな店内。
1枚目は「生粉打ち」。
たぐりあげるとふわり、蕎麦のかぐわしい香り。
強烈ではない「美しい香り」にすっかり嬉しくなる。
口に含むと、これまた。
じわぁーーと、清らかな蕎麦の味わいが口中に広がっていくのが
目に見えるかのようだ。
極細の蕎麦は手作りの趣を感じる震えるラインを描き、
コシはあまりなくフッと途切れるのがはかない印象である。
2枚目は「二八」。
「生粉打ち」同様極細打ちだが、こちらは見るからにつるつるとした肌。
窓からの自然光に優しい輝きをかえしている。
香りは二八らしい甘い粉の香り。
そして口に含むと「生粉打ち」とは打って変わって強靭なコシで応えてきた。
玄関の細長い窓硝子。
黄金色の午後は、まだ待っていてくれた。
2010年10月26日
赤城高原「喜楽庵」
赤城のお山は蕎麦の山。
手打ち蕎麦の幟だらけで右に気とられ左を振り返り
大忙しのドライブウェイ。
その中に一際・・・いやいや、看板は非常〜〜に普通な「喜楽庵」。
しかしよーく見ていれば
開店時間前から駐車場に車が集まる謎の人気店ということがわかるのだ。
何やら珍しいポルシェ様もギュインと乗り付ける有様。
天井が高く広々とした店内は、
石の質感、木の曲線がなんともダイナミックな空間。
この雰囲気、非常に私好みである。
午前中の光の差し込む窓際に運ばれてきた蕎麦は
のびのびとゆるやかに笊の上に広がってやってきた。
白っぽく、見るからにふんわりとした空気感を持つ美しい蕎麦。
箸先にたぐると・・アレ、あまり香らない。
と思ったらどうやら偶然私の蕎麦だけ、最初かなり水切れが悪かったようで
香りも味わいも水の膜の向こうにある感じになってしまっていたのだが
程よく水が切れてくると俄然むわぁーとした香りを放ち始めた。
見た目の通りのふわっとしたコシが穏やかな気持にさせてくれる蕎麦。
帰りがけに玄関付近を見ると
土付きのままの見事な野菜がごろごろ入った箱が、どかーんと豪快に置いてある。
現在は「畑で現役」という店主が作った無農薬野菜を、なんと欲しい人にはお土産にくれるのだ。
ビニール袋と「一人一袋まで」との文字。
畑に立つ人らしい飾らぬ親切がストレートに伝わるではないか。
袋一杯の茄子とじゃが芋を手に店を出ると
赤城の山の空気が胸を洗ってくれているかのようだった。
2010年10月23日
長野・東御市「そば家 叶」
森の奥の緑の陰に見つけた小屋。
ギターロックが流れる店内は
まるで木の中にいるかのような安らぎのある空間だ。
蕎麦は3種類。
さらしなそば
風雨雪(ふうせつ)そば
手前そば
全て信州産の地粉十割手打ち蕎麦である。
つるつるではなく、きめ細かな陶器のような質感の肌と
しっかりハードな食感を持ったさらしなそば。
しっかりと密な肌と、強靭なコシを持った風雨雪そば。
そして目にも嬉しい粗挽きの白いホシを浮かべた極太ハードな手前そば。
ガッチリした輪郭を噛みしめると、「生」感の強い蕎麦粉のかぐわしさが口中を染める。
椀がきのそばがきのような素朴な風味だ。
静かな夜。
森の奥のこんなあたたかい空間で、
蕎麦を愛でられる幸せ。
あたたかいのもそりゃ当然。
先刻から私の膝の上には湯たんぽよりもあたたかくて笑っちゃうものが眠っている。
「自分はここで眠る権利がある」とばかりに
当たり前のようによじ登ってきて、
安心しきった顔でぐうぐう眠り全然起きないキジトラくん。
私にとっても至福の一時だったが、こちらも待つ者おらねど帰る場所のある身。
揺さぶり起こしてイスの上に載せると
まだ眠いのに起こされてちょっと憮然としている。
どっ
どうしよう本気で好きになりそう(>_<)
森の奥で過ごした時間。
帰り道もまだ膝の上が温かいような寂しさだった。
2010年10月22日
長野市「手打ちそば処 小杉」
お昼時とは言え、店は聞きしに勝る大繁盛の大混雑。
さすがは人気で名高い「手打ちそば処 小杉 須坂インター店」の息子さんの店である。
駐車場は無論満車。
駐車場に入れようと待つうちに蕎麦が売り切れてしまい残念そうに帰るお客さんに
店の人が大わらわの中丁寧に謝っている。
厨房からは戦場のごとき忙しげな雰囲気が伝わってくる。
大変そうだなあ、と私の席のすぐ横にある打ち場を見やれば
忙しない店内とはまさに切り離された静の世界。
白い木と白い粉がまぶしい、清らかな眺めである。
のし棒などの道具掛けまでも天然木をそのまま生かした形なのがユニークで美しい。
「小杉」の蕎麦は2種類。
ともに十割なのだが
粉の産地によって著しく値段が違う。
「北海道産十割ざるそば」が700円なのに対し
「信州産十割の霧そば」は1200円なのだ。
「県産ならではの風味と甘味 当店自慢の一品」と銘打ってあるあたり
地元への愛情と誇りが感じられるではないか。
まずは、信州産十割の霧そば。
手繰りあげて香りを寄せ軽く驚く。
これは・・・かいだことのない不思議な香りだ。
強いて言えば笹の葉のような、薬草に近いような、
野性味あふれる香り。
舌触りは見た目よりしっかりとしていて、程よいコシが楽しめる。
地元のやんちゃ坊主と竹馬遊びでもした気分である。
北海道産十割ざるそば。
うーん、これまた面白い!
見た目からの予想を裏切る非常に珍しい香りなのだ。
韃靼蕎麦にも似た、苦味を予想させるような野生の香り。
しかし口に含んでみれば苦味など全くなく、
味わいとしてはやさしい蕎麦である。
気がつけば蕎麦が売り切れた店内は
すっかり広々、最後の客になってしまった。
営業時間は16時までなのだが、
本日は売切御免、14時半には「本日終了」の看板。
地元の人気者の昼は、かくも忙しいのだ。
2010年10月21日
長野・佐久市春日「職人館」
一日の中で、私が一番好きな時間。
花も大地も空気も青く染まり、
山が黒々とその威を際立たせ始める黄昏時。
予約した時間に店に到着してみると
当の主が居なかった。
「それが・・さっき山に入ったきり・・」
と店の人が済まなさそうに言う。
いかにも、「職人館」の店主らしい。
愉快愉快、流石は佐久が、いや日本が誇る「職人館」である。
ますます楽しい気持ちで店内で待っていると、
嗚呼佐久が暮れていく。
窓からの眺めはそこに名画がかかっているのかのような美しさ。
ミレーがあらわしたかったのはこんな静けさではなかったか。
「おいー、すっかり遅くなっちまって」
入り口の方で声がしたと思ったら
店主が大きな笊かご一杯に山のお宝をどっさり抱えて帰ってきた。
父親が帰ってきて喜ぶ子らのように玄関に駆け出す私たち。
「わあぁーっ」という歓声。
この山のお宝、きのこの山!
トキイロラッパタケ 、サクラシメジ、カラスタケ、
そして本日一番のお宝は「ウシビタイ」とも呼ばれる「クロカワタケ」!
これは東京のフレンチやイタリアンの有名シェフ達の垂涎の的という名きのこ。
松茸だのポルチーニだの、どころではないらしい。
実際この素朴極まりない店主の口から
次々と有名料理人たちとの交流話が出てくると
この静かな田舎家に似合わぬ世界の話ゆえ最初はちょっと驚くかもしれない。
しかし大地と生きる店主の信念と才気に触れれば
ブランドシェフたちが憧れるのも無理がないことに誰しも納得するであろう。
とにかくこの採り立てきのこをこの店主の料理で食べられるのだから
もう私たちの胃は最初から「別腹」ならぬ「倍腹」状態!
店主さえ帰ってくれば厨房は一気に、急発進で動き出す。
山の恵みそのままに、オリジナルの彩り豊かなドレッシングを添えて。
紫ピンク色は「ビーツとブルーチーズのドレッシング」。
薄緑色は「バジルのドレッシング」。
黄色は「卵のドレッシング」。
これだけ色が美しいと「ドレッシング」という言葉そのものが美しく聞こえてくる。
私は蕎麦でも野菜でも「裸の方が好き」なのだが、
このドレッシングは楽しさに誘われて美味しく食べた。
特にトマトが絶品!
甘いだけでなく味わいが濃く酸味もちゃんとあり、
新鮮な程よいハリを持った皮とジューシーな果肉がたまらない。
「職人館」の野菜は全て付近でとれた有機栽培もの。
野菜好き、素材好きの私には、これ以上贅沢な食事はない。
採り立てきのこをおろしでシンプルに。
ああきのこって素晴らしい。
はなやかな香りも派手な味わいもなく、
静かに「伝わってくるような」ような美味しさ。
乗鞍のきのこ名人とイグチ採りした時の思い出も過ぎる。
お父ちゃんどうしているかなあ、会いたいなあ。
「キャッサバ芋で育ったポークと紅玉りんご、無農薬野菜のサラダ」
サラダに紅玉りんごというのが最初は意外だったが
紅玉が加わることでの酸味と甘さ、彩りのバランスの良さに
「真似したい!」と一同絶賛。
またこのポークの美味しいこと。
普段あまり肉を食べない私も動物のように喜んで食べた。
私見だが、店主の北沢さんは「赤と紫」という彩りを大切にする人である。
鮮やかで、ちょっとドキッとするような艶めかしさのある色合いが
自然界の、しかも食べ物にある感動。
紅玉りんごの赤と紫キャベツの紫に「北沢ヴィヴィッド」を見出した。
「さくらしめじとトキイロラッパタケのスクランブルエッグ」。
うう・・
うううう・・・・。
あのー、普段私、スクランブルエッグというものには興味が薄いはずなんですがね。
これは、何ゆえに、こんなに美味しいのでしょう?
美味しいー、なんで?なんで?と言いながら大量に食べた私を
同席の皆様お許しください。
きのこの魔法なのか店主の魔法なのか。
間違いなく店主は言うのだ。
「俺は何もしてねえ。全ての料理人は何も出来ねえ。
感謝するべきは、畑だ。その畑を作っている人だ。」
スクランブルエッグにはフォカッチャが添えられてきた。
このフォカッチャも地粉という贅沢。
おいもときのこ、2種のフォカッチャと側にあるのはオリーブオイルではない。
これまた地元産の「菜種油」というのが「職人館」流。
ひええー、この辺りには菜種の畑もあるのですか!
国産、しかも地元産菜種油なんて本当に凄い。
「クロカワタケのバターソテー」。
これについては・・私の筆で表現するには限界があるほどの美味しさである。
花びらの「北沢パープル」があしらわれていなければただただ地味な見た目の一皿だが、
とにかく一口食べた瞬間のテーブルに花火が上がったような一同の反応がすごかった。
私に至っては、あまりの美味しさにパンチをくらって珍しく押し黙り
しばらく口がきけなかったほど。
松茸がなんだ。ポルチーニがなんだトリュフがなんだ。
ぎゅうぅとこれでもかと濃厚で贅沢なきのこの風味。
ゴルゴンゾーラかパルミジャーノ・レッジアーノかというような、
コクのある乳製品が醗酵したようなしつこいほど芳醇な香りである。
これはおかしい。絶対に何かおかしい。
美味しすぎる。
確かにこのクロカワタケは相当凄いものらしく、店員の男性も
「ちょっとこれだけのは今年はじめてです。ラッキーですね」
と教えてくれたが、それにしてもおかしい。
「土や山がすでに料理してくれてあるものを、
俺は何も作れないから、皿に貼り付けているだけだ」
という世紀の名言のある店主は
「ただバターソテーしただけだ」」
と言うが、私がバターソテーしても絶対にこの味にならない自信がある。
すると食事が全て終わった後、何でもなさそうに
「ちょっと、蕎麦のはちみつを隠し味に足してみたんだ」と。
はあああ
蕎麦の。
はちみつ。
恐れ入ったとしか言いようがない。
この皿に残った汁はテーブルの「家宝」として「下げないでぇぇ」と死守し、
おまけに「先程のフォカッチャにつけて食べたい、もう一回欲しい」なんて我が儘を言い
皆で最後の一滴まで貪欲に堪能したのであった。
果たして恋人はあまりにもさり気なく、ひょいとテーブルに割って入ってきた。
華やかな山の彩りのあとに、この渋い風情。
ああやっぱり私が好きなのはこの人だ。
地粉十割、「職人館」の蕎麦。
黒めの肌は見るからにねっとりとたくましそうである。
空気を伝って感じられる力強い香りに誘われ口に含めば
見た目通りのしっかりとした歯ざわり。
ぬめるような感覚の肌を噛みしめるごとに
この地で生まれた蕎麦の香りが奥からあふれてくる。
すべての男性を「大将」と呼び、
畑への尊敬と信念に満ちた会話はどこまでも軽快で興味深く
そのまま全て録音したくなるような店主。
「おい!」でリズムを取る口調はやけにいなせでカッコイイ。
「土や山がすでに料理してくれてあるものを、
俺は何も作れないから、皿に貼り付けているだけだ」
日本が誇る、職人の館である。
2010年10月20日
長野・北志賀「石臼挽き蕎麦香房 山の実」
山がすき。
スキーがだいすきな私には、
きっと夢のような場所なのだろうと思っていた。
たどり着いてみれば聞いていた通り、
店は竜王スキーパーク入口に位置する
「北志賀ホリデーインホテル」内にあった。
スキー場にあるホテルのメインレストランが、
自家製粉、手挽きまでする超・名店蕎麦屋。
聞いていたとはいえ、その事実を目の当たりにすると
胸がいっぱいになりすぎてほとんど「混乱」に近い状態。
行きたかったお蕎麦屋さんがスキー場のホテルにあるなんて、
そんなのアリなんだろうか、私が頭の中で作っちゃったんじゃないだろうか、
眼の前にある現実が受け止められない・・・
絨毯敷の店内は、広々と優雅な山のホテル風と、
和風の暖簾や飾りがあちこちにある家庭的な蕎麦屋風が混在している。
爽やかなクラシック音楽が高原の空気に響き、山々は青空に輝き
厨房からは蕎麦の水切りの音。
一体私は何処にいるのか。
店内にはこの店の目玉のひとつである「そばピッツァ」の石窯が。
開店直後というのに注文は既に殺到しているらしく
次々とピッツァが焼き上がっているようだ。
まずは運ばれてきたのは「蕎麦の実粥」。
赤い椀の中の可愛らしい粒たち。
米よりもつるりとした表面を持つ粒たちが
口の中をツブツブさらさらと過ぎてゆくのをつかまえ、そっと噛みしめる。
蕎麦の実の素朴さを損なうことのないシンプルな味つけに
これから先への期待は高まるばかりである。
本当に楽しみにしていた「手挽きそばがき」。
高原の窓辺で出会った、その姿。
これは・・・
見たこともないような、「生」感のある極粗挽きである。
生タマネギがざくざく入った焼く前のハンバーグのような、
すべて穀物というのが信じ難い姿。
表面がごく軽くあぶってあるのがまた憎い。
透明感のある美しい緑、
象牙のようにすべらかな白、
それらをつなぐ瑞々しい生成色・・
目をこらせば無数の蕎麦粒達がまだ生きたままそこにいるかのようだ。
箸先にぽってりと取り上げてさらに感激。
高地の野原のような爽やかな香り!
食感も通常のそばがきとはだいぶ違ったものである。
ふっくらでも、モチモチでも、ふわふわでもなく、
先程の蕎麦の実粥に似たツブサラ感のあるそばがき。
そのツブサラの間をつなげるモッチリと細かい粉。
噛みしめると内側から奥から、なんともまろやかな、
ミルクブレッドのような白いイメージの香りが生まれてくる。
実際に目に見える「緑と白と生成り色」が
口の中でもあまりにもはっきりと「見える」ことに驚く。
そして「生粉打ち蕎麦」。
私は、あなたに会いたかった。
もう、泣いてもいいですか。
この店に着いて以来我慢していたものが溢れそうで我慢できない。
私は山にいるのだ。
空気が綺麗で、向こうのお山が同じ高さに見えて、
おまけにここはスキー場なのだ。
その上何故あなたはそんなに美しく緑色にひろがっているのですか。
ひんやりした空気の中、しっかりしめられこんなにひんやりしているのに
なぜこんなにも美しく香ってくれるのですか。
柔和な表情に見えたその蕎麦は
口に含むと意外にも1本1本がはっきりとした輪郭をもっている。
さらしなのようにするするとした極細ゆえ、
噛みしめる刹那蕎麦と蕎麦がすべるような、
微かにシャクッとするような食感が感じられる。
気づくと、甘みや味わいはほとんどない。
それが物足りなさには全くなっておらず、「よく考えると」ほとんどない。
ただただ、この上もなく爽やかなかぐわしい香りが
この窓からあの大空にまではみ出すかのように満ちている。
口内上部、頭の中までかぐわしさで満たされ、
もうこの際私が大空にはみ出してもいい。
甘みや味わいといった味覚の底辺を支えるものが淡いぶん、
香りという「軽み」の部分だけが際限なく広がって感じられるのかもしれない。
ということはこれは新蕎麦でしょうか。
本当はそういうことはそんなに、どうでもいいのでございます。
もう只々、しあわせなのでございます。
またこの笊が、意外と深さがあるので見た目より量がたっぷりあるのが
ありがたいじゃあないですか、
うれしいじゃあないですか・・・
「生粉打ち蕎麦」でほとんど泣いている私の前に現れた、
この店の大人気メニュー「石窯焼きそばピッツァ」。
4種類の中から、一番スタンダートと思われる
「須賀川そばピッツァ」を選んだ。
「生地に自家製粉したそば粉をふんだんに使い
厳選の信州白味噌とチーズ、ねぎ・えのき・
そばの実をのせて石窯でカリッと焼き上げます」
と説明してあるものである。
この、話題の人気メニューに対峙したというのに
先程までと打って変わって温度の低い私を許して欲しい。
好き嫌いがはっきりしているというよりは
「好きなものが好き過ぎる」私、
ピッツァというものは嫌いではないが「愛情が希薄」である。
しかしここのピッツァは大変評判が高いので
きっと素晴らしいものなのだろう。
私が興味があるのはピッツァの表面ではなくその「裏側」である。
(ひっくりかえしてみた)
うおぉ〜〜〜〜
何ですかこのおいしそうさは美しさは!!
穀物の穀物らしい姿に滅法弱い私。
粗挽きの無数のつぶつぶがぎゅっと板状になり、
素朴な焦げ目のついたたまらぬ姿。
いびつな輪郭線を縁取る茶色のクラスト部分の
香ばしそうなことと言ったらない。
愛しい蕎麦粒さんたちに、こんなところでこんな姿で会うことが出来てまたまた感激。
ピッツァを食べるより裏側にしびれまくるあたり、
やっぱり私はちょっとばかり人と感覚がズレているのだろう。
できれば私は、具のない状態でこの生地だけ食べてみたい。
フルーティーなオリーブオイルなどつけて食べたらさぞ美味しいだろう。
山の香り、山の恵み、山の眺め。
「山の実」に、帰りたい。
2010年10月19日
下北沢「手打蕎麦 慶水」
今夜は、昇太さん率いるSWAの
クリエイティブ・ツアー「古典アフター」@本多劇場。
もう〜〜〜SWA は、可笑しい!
4人が4人、それぞれにオレオレ詐欺みたいな輝き方をしておられ、
気づいたら財布の口じゃなくて大口開けて笑わされ。
しかも今夜は、トリの昇太さん、
私が大好きな「本当は怖い愛宕山」!!
この話はもう本当に、最高としか言いようがないのだ。
ヒヤッとリアルで怖い面あり、現実にはありえないお伽噺らしい楽しさあり、
昇太さんの演技の可笑しさ上手さが200%楽しめるシーンが何種類も盛り込まれていて
ホロリとさせられる部分もちゃんとあって、
もうこの話の大ファンとしては聞いてるうちに
「ちょっとさー、こんなに完璧で可笑しい話、ズルイでしょ?!」
って言いたくなる程なのだが
毎回どうしても「もうヤメテクレ!!」と顔が痛いほど笑わされてしまう。
しかも私が笑っている時はそれこそ「会場中が大喜び、大爆笑」していて
それを見るとやっぱり
「ちょっとー、こんなのズルイでしょうによ!!」って言いたくなってしまうのだ。
オオカミ・・・ずるすぎる・・・
てな具合に落語は聞く方もスポーツのように消耗するので
観る前にはちゃんといい栄養、満タンにしておかないとね。
下北沢駅から徒歩2分「手打蕎麦 慶水」。
付近には下北沢らしい古着屋や雑貨屋がひしめいているが
この店は別世界のように静かで落ち着いた空間。
せいろ以外はだいたい1000円以上と高級店だが
せいろしか頼んだことのない私には
840円でこの静かで贅沢な蕎麦時間はありがたい限り。
しかも量は高級店のそれではなく、豊かな山盛りでやってきてくれる。
端整に切りそろえられたみごとな蕎麦。
きめ細かく曇り無き肌が重なりあう、その景色の美しいこと。
たぐりあげれば微かに、ひそやかにただよう粉の香り。
ひとくち口に含むと、するするとすべらかな舌触りがここちよく
弾むようなたしかなコシがまた素晴らしい。
味や香りが濃厚な蕎麦ではなく、
落語の前につるつるーっとひっかけるに最高の、上質の蕎麦である。
店を出ると闇の中店外の手入れをしていた店主に出会う。
職人らしい笑顔と礼儀正しい会釈。
すっかりしあわせな気分で本多劇場へと歩き出し。
穏やかな気持で席に座ったら、4人のオレオレ詐欺に遭った。
20日夜は、同じ本多劇場で昇太さん独演会ですよ〜!
2010年10月16日
群馬・前橋「手打そば 浅川」
言葉にできない蕎麦。
「浅川」の蕎麦を、敢えてそう表現しよう。
野性的な蕎麦。
やさしく品の良い蕎麦。
むわぁ〜とかぐわしい香り。
舌にひろがる甘み。
弾むようなコシ。
すべらかな舌触り。
蕎麦に出会えば出会った数だけ、
私はその蕎麦の世界に見入り、染まり、
その蕎麦への賛美の言葉が溢れて止まらなくなる。
あなたはこんなふうにあんなふうに美しい、
あなたはこんなにもこんなにもステキだ、と
愛しいものへの形容詞など考えずとも浮かぶものだ。
しかし「浅川」の蕎麦には
何かズバリと言い切れない魅力がある。
店主の打ち出す数種の蕎麦のそれぞれの個性は
微妙な中間色で彩られ、
これだ、とつかまえようとしても
何色なのか中々教えてくれない。
前回「浅川」を訪れたときには
私はもうこのブログをはじめていたから
そしてその時間は本当に素晴らしかったから
当然私はブログに書こうと思った。
しかし書けなかった。
覚えているのは
”前橋に凄い店がある。
蕎麦が人の手を借りずに自力でその味を出しているかのような味がする。
私には彼が、蕎麦打ち職人ではなく、
蕎麦という穀物が持つ力を研究している人のように思える”
と書こうと思ったことである。
しかしそれだけでは漠然としすぎて訳がわからないし、
「浅川」の蕎麦にそれ以上の具体的な形容詞を冠することが出来なかったので
私は「浅川」について書くことを断念した。
・・・という、前回のことがあるので
今回この店を訪れるにあたっては私はできるだけ頭をクリアにして(当社比)
余りワクワクしすぎないようできるだけ落ち着いて(当社比)
そうしてあの広々と明るい店内に入ったのだ。
休日の昼時と言うこともあり
店はほぼ満員の人気ぶり。
一つテーブルが開いても次から次に、お客さんが入ってくる。
そしてどのテーブルのお客さんも
実に和やかで楽しそうなのが印象的だ。
まずは、
「星の飛ぶ満天の空のような深い味わいをお楽しみください」
とメニューに添え書きのある「満天せいろ」。
実は、打ちたてのものに加えて、2日熟成のものもあったとのことで
右と左で盛り合わせにしてくれた。
遠目に見ても色がはっきりと違うのが分かるだろうか。
この蕎麦だけ見たら、
この透明感や光り方などいかにも熟成のようにも見えるのだが、
こちらは打ちたて、本日の「満天せいろ」。
その名に違わずふんだんに散りばめられたホシが
未晒の土佐和紙のような風情を醸し出している。
手繰り上げるとなんとも形容しがたい、
もう「浅川らしい」ということで勘弁してくださいと言うしかない
中間色のかぐわしさ。
しっとり、ふわりと、つかみどころのないやさしい感触は
どこか慈久庵の蕎麦を思い出させるような。
こちらは2日熟成の満天せいろ。
なるほど、熟成となるとこんなふうに透明感を増しながら色が濃くなるのだ。
ドキドキと手繰り上げると、ふわっと香る、
先程の、打ちたての「満天せいろ」の香りが更に深まったような香り。
噛みしめても熟成らしき香りは感じられず、深い香りのなかに
後から甘みがじわっと追いかけ、口中に広がっていくのが嬉しい。
打ちたてと、2日熟成の色の違いも、アップにするとこの通り。
そしてこちらは「金砂郷せいろ」。
こちらも偶然あったということで、
本日打ちたてのものと1日熟成の合盛りに。
こちらは本日打ちたての「金砂郷せいろ」。
「満天せいろ」よりしっかりとした歯ざわりである。
なんて、前の蕎麦との違いを書いてはみるが、
この蕎麦においても、私は「浅川」の中間色の夢のなかである。
原始の夢、原野の夢、土の色の微妙な重なりが見えるような・・・
1日熟成の「金砂郷せいろ」。
熟成により、打ちたてよりもなめらかな舌触りになっているのが印象的である。
熟成らしい香りはほとんど感じられず、
甘みと味わいだけが深まっているのが見事だ。
しっかりクリアな頭で来たはずなのに
「浅川」の中間色の微妙なグラデーションに染まってしまい
今回もまたつかまえられないまま。
私にはやはり、「浅川」の店主は蕎麦打ち職人というよりも、
蕎麦という穀物が持つ力を研究している人のように思える。
(アンシュ〜、行ってまいりましたよー!
いつかは、ご一緒しましょう(^o^)♪)
2010年10月15日
豪徳寺「あめこや」
スタジオでの録音が終わり
ダメモトで電話してみたら・・・
なんとなんと、空いているではないデスカ!
ついてるー♪とはしゃぎつつ4人で到着。
もう〜今回も素晴らしすぎますよ、「あめこや」さん!
「あめこや」は、そのお蕎麦だけでも
私なんて磁石のように犬のように吸い寄せられてしまうのに、
その上その季節の美味しいものをうんと美味しくして
次々と楽しませてくれてしまうのだから本当に参ってしまう。
しかもそのどれもが実にシンプル。
なんてことない素材をちょっとしたセンスで
「うわっ」と喜ばせてくれる一品に変えてしまうのだ。
(歌のことで頭が一杯でカメラを忘れたため、本日は携帯写真で失礼)
眼の前にちょこんと置かれて、その可愛らしさに胸打たれたつき出し。
写真では伝わりにくいと思うが
このサトイモさんも小鉢も本当に小さいのだ。
そのミニチュアぶりにまず喜び、食べてみてまた「うわ、おいしい!」。
ただ胡麻塩がふってあるだけのはずなんですけどねえ〜
サトイモってこんなに美味しかったんですねえ〜
これは、一口食べた瞬間の皆の反応が鮮やかで楽しかった。
ひとりひとりの顔が電球がついたみたいに明るくなって
「おいしー!」と大人気だった「のどぐろのあぶり刺身」。
脂の乗った魚好き、しかもあぶり好きの私には、もうたまらない一品。
あぶり〜あぶら〜 あぶり〜あぶら〜
♪\(≧∇≦)/♪
こちらも一同絶賛、
「粗挽きそばがきと焼き松茸のお吸い物」。
焼いた松茸のかぐわしいこと。
そしてそのかぐわしさの下に大地のようにひろがる
粗挽きそばがきの、あああああ、愛すべき香り。
その清澄な秋らしい趣に、テーブル一同声上げてうっとり。
しかしながら「蕎麦原理主義」の異名をとるダメ人間の私、
「こんなに素敵なそばがきさんとはできることなら二人きりでゆっくりお会いしたかった・・」
なんてもったないことをこっそり思ったり。
この粗挽きの蕎麦粉が「慈久庵」からのものというのも面白い。
どんな時も、お店に入った瞬間から心はお蕎麦だけに集中している私、
しかし「あめこや」においてはお料理に浮かれているうちに
実にさりげなく、私の前にちょんとお蕎麦が現れてしまう。
2種せいろは笊もこぢんまりと小さく、
その蕎麦の佇まい、風情はこれまた非常にさりげない。
しかしひとたぐりすれば、目も覚めるようなかぐわしさ。
北海道ニセコ産のキタワセ。
ムワァ〜と力強い香り、濃厚な味わいと甘み。
これが新蕎麦?と思うようなたくましい、強烈な魅力を備えた蕎麦。
こんなにもすごい主役を、まるでお料理のひとつかのように
こんなにさりげなく登場させて、私を夢中にさせて
あ〜〜〜、もういなくなっちゃった・・・・
2枚目は埼玉県秩父産、秩父在来種。
トップノートは1枚目の北海道と比べると淡いかな・・
と思いきや、あとからあとから、
じわじわとかぐわしさがふくらんでまいりました。
しかも、味わいの濃さはこちらのほうが上と言っていい。
夢中で愛で、たぐりつつ、
あ〜〜なくなっちゃう〜〜
食べるとなくなっちゃう〜〜
もはや喜んでいるのだか泣いているのだか分からない。
おっ 湯桶が新しくなりましたね。
前のドイツのプラチック製保温型も個性的でよかったが
この北欧レトロなデザイン、非常に好みです。
「あめこや」の雰囲気にぴったり。
しかも蕎麦湯がまた美味しすぎて、ついついたくさん飲んでしまった・・
いつもながらすみません・・・m(_ _)m
食後のデザートは、こんな可愛らしい演出で。
ただむいただけのくだものながら、
「あめこや」らしいセンスでいつも感激してしまう。
甘いものが苦手で、何も手を加えないくだものが大好きな私には最高のデザートだ。
綺麗に皮を向いた葡萄にクシをさし、小さなグラスにポンとさしてある。
言問団子みたいで可愛いな〜と思っていたら
このブログを見てくださっている店主、
「そびぽぉ!ソビスケ」のちょんまげに痛く感銘を受けたらしく
「ちょんまげを、意識してみましたっ」
とのこと。
素敵・・・そのセンス、素敵っすよ・・・
ごちそうさまー!
と店を出る4人は全員満面の笑み。
素敵な方々と楽しい時間、あめちびちゃんの素晴らしいニュースもあったし、
最高の夜だった。
前回のしあわせ♪
2010年10月14日
神楽坂「志ま平」
何時誰が行っても同じような時間が流れ、
マニュアル通りの同じ笑顔で
同じようにサービスしてもらえる。
そういった意味で現代人にとって
ファミリーレストランは
心安らげる場所なのかもしれない。
「個」として注目されない気楽さ。
心が触れ合わないからこそ、
心の中に立ち入られない安心感。
街道沿いは日本全国そんな店だらけとなってしまった昨今、
昔ながらの職人気質の頑固親父が
店の隅々まで目を光らせているような店は
存在そのものが貴重になってしまった。
随分昔の話だが、浅草の手拭いの老舗で、店に入っただけで
「そんなところに立ち止まるな」
と怒鳴られたことがある。
意地悪は嫌いだが頑固は可笑しい。
道を歩けば蕎麦屋だらけ、しかも名店だらけで悩ましい町、神楽坂。
その中でも一際の情緒を放つ佇まいの蕎麦屋が、「志ま平」だ。
何だか入りにくい雰囲気だな、と感じた方、いい感覚をお持ちです。
引き戸を開けるとそこは江戸。
周りに流されない志を持った職人が、店を守っている。
いつもはこっそり蕎麦の写真を撮る私も、
ここでは流石にカメラを取り出す気もおきない。
ここには色々思い出があるが、
今日は「おせいろ」と「深山」が合わせて盛られた「二色せいろ」を。
二種の蕎麦を別々に茹でて盛る、その手際の良さに眼を見張る。
「おせいろ」は、韃靼に近いような、やや暗い黄緑色がかった極細。
一本一本の輪郭が明確に際立ち、繊細ながらシャキッとした姿である。
箸先にたぐるとフワっと、爽やかな蕎麦の香り。
微かに瓜系の野菜に似た香りを含んでいる。
一本一本がしっかりとしたコシを持っているため、
極細の束を噛みしめると
シャクシャクとした食感が楽しめる。
繊細でありながら凛とした印象の蕎麦だ。
「深山」は「おせいろ」との対比も鮮やかな、手びねりの陶器のような趣。
いびつに揺れる輪郭線を持つ肌には、赤や焦げ茶のホシが微かに浮かぶ。
香りは意外にも熟成。
太めだがコシは強くないのでモゴモゴ噛むことなくハラリと噛み切れ、
そこから熟成らしい濃い味わいと甘みが溢れてくる。
店主は頑固な一面もあるが
案外話好きでもあり笑顔は人懐こい。
今年は新蕎麦の出来がよく久々に嬉しいそうだ。
店を出ると先刻までの雨はほとんど上がり、
雨後の空気がひんやりと黒く澄んでいた。
2010年10月13日
神奈川・本厚木「石臼挽そば 石の森」「手打ちそば 初空」
本厚木まで来たからには
ハシゴしなけりゃ損ソン。
天高き秋晴れのハシゴ日和である。
「石臼挽そば 石の森」。
不思議な魅力を持った店名だと思っていたら
今日お店の人に聞いてやっと判明。
店主の出身地である宮城県登米市の地名からとったそうだ。
漫画家の石ノ森章太郎氏も同じ石森の出身だそうである。
「石の森」、ひんやりと趣深い名前だ。
やや黄味を帯びた明るい白い肌の蕎麦は
繊細な細切り。
丸いせいろ2つに並べられた演出も含めて
なかなか個性的な眺めである。
ウリを連想させるような爽やかな香りを淡くまとっているが、
やはりこの蕎麦の醍醐味は香りではなく食感だ。
極細切りながらしっかりとしたコシを持ち、
かといってツルツルとはしていないので
噛み締めるとシャクシャクとした独特の、
繊細な感触が歯に伝わってくる。
個人的には壁に見つけたこんなメニュー名に、
店主の遊び心を感じて嬉しくなったり。
初恋はキスと野菜の味なのだ。
2軒めは、「手打ちそば 初空」。
「初空」は「元旦の空」という意味では冬の季語だが、
こちらの店名の由来はもう一つの意味の方。
メニューにも花のイメージカットに添えて
「初めてその季節らしく感じる空を初空といいます」
と書いてある。
ここもまた、趣深い店名ではないか。
店はサラリーマンや女性の一人客でも入りやすい、
気取りのない雰囲気の店である。
裾野ひろびろ、ドーンとおおらかな山盛り。
明るく澄んだすべらかな肌だけに、淡白な印象を受けたが
箸先で感じたフレッシュな香りが嬉しい。
今日は甘みがあまり感じられなかったが
この蕎麦は何より、ふんわりとした絶妙のコシがいい。
コシが強いわけではない、歯を優しく受け止める絶妙の弾力。
「石臼挽そば 石の森」の独特のシャクシャク感を思うと
香りより食感で勝負、なところに地域性を感じなくもない。
(実際「この沿線、この駅付近の数店の共通点」というのは
よく感じるものなのだ)
地域性といえば、
「石の森」には
「ビール(中)一本又は地酒一合+三点の肴とせいろそば付」という内容の
「ほろ酔セット」(1360円)というのがあるし
「初空」には
「串揚げセット(6本+揚げ蕎麦付)+ビール小ビンor日本酒or焼酎+もりそば」という内容の
「おひとり様セット」(1500円)というのがある。
本厚木、なかなか乙な街である。
2010年10月10日
神田「眠庵」(真昼の眠庵)
2010年10月08日
井荻「蕎麦 みわ」
環八沿いの夜道に突如現れるその姿が
額の中の絵のように輝いて見えるのは私だけではないはずだ。
「蕎麦 みわ」、その佇まいの完成された美しさ。
みわの蕎麦に会いたくてやってきた者の目には
眩しいほどに映る、楽しい世界の入口である。
ここの魅力はやはり、「手碾きせいろ」があること。
しかも今日は限定の「手碾きの田舎せいろ」もまだあるそうなので
手碾きが2種もある。
そして「せいろ」もある。
どうしよう、えーい全部ください!!
まずは「手碾きせいろ」から。
美しい・・・
この美しさはまるで「みわ」の外観そのものだ、と今日は思った。
何と言うか、周りの景色を消し去るような
そこだけ浮き上がるようなひとつの「世界」なのだ。
ガラスケースの中の名陶のような存在感。
店主は、蕎麦職人でありながら
大変な美意識を持ったアーティストでもあることは間違いない。
その肌にホシが散っているというよりは
ホシの集合でその形をなしているといった、貴い輪郭線。
うすみどり、白、茜色、無数のホシにいつまでも見とれていたい思いだが
手が勝手に箸をとりもう香りを寄せている。
面白い。
一般的な蕎麦のかぐわしさとは違う、清らかな香ばしさだ。
小麦の香りがするわけではないのだが
田舎パン、カンパーニュの焦げ茶色のクラスト部分にも通ずる香ばしさ。
しかしこの店において「他で感じたことのない香り」に驚かされたことは何度もあるので
この香りもまた「みわ」らしい、と言っていいのだろう。
店主は重い石臼を自らの手で回し、今日はこんな香りを玄蕎麦から引き出したのだ。
ザラザラした肌が口中をめぐり、肌表面はしっかりとしているのに
かみしめると意外にもやさしい。
はあああ・・
ここは、どこだっけ?
2枚目は「せいろ」。
この場面転換の鮮やかさ。
店主は蕎麦職人でありアーティストでありさらに演出家だ。
あの「手碾き蕎麦」のあとにこれである。
打って変わって端正な細切り、曇り無き肌。
品の良い薄緑一色のきめ細かな肌はうっすらと水分をたたえ
細切りだけにその輝きも繊細だ。
手繰り上げると、ムワァーと蕎麦の濃い香りに包まれる。
パキパキとしっかりした輪郭を持つ細切りゆえ
口の中でその束がほどける感覚がなんとも心地いい。
エンジェルヘアというパスタがあるが、
天使よりももうすこし凛とした
絵画の中の女性の繊細な髪束のようである。
クリムトの"water snake"の背景を泳ぐような恍惚。
北海道滝川産の十割は、
店主の手にかかると、こんな名役者に変身するのだ。
最後は、1日15食限定の、「手碾きの田舎そば」。
またしても。
場面転換の妙に胸高なり踊らされ、演出家の思う壺といったところである。
あの清らかで端正な「せいろ」のあとにこの容赦なき黒さ。
乱れなき見事な輪郭線はこれもまたひとつの「作品」のようである。
やや透明感を帯びた肌は粗挽きのホシを一面にたたえ
近づかずとも濃厚な香りをこちらまで放ってきそうだ。
箸先にたぐり寄せた香りは意外にも淡かった。
澄んだ冷気にごく淡くふくまれた香ばしさ。
口に含むと粗挽きながら表面にたっぷりと水気を含んだ太打ちは
すべらかに口中を流れていく。
強靭なコシを噛みしめると、これはさすがの野性的な味わいである。
そしてできるだけゆっくり食べていると、
思った通り、全てが濃厚になっていくのだ。
香ばしい香りも、野趣溢れる味わいも。
来る度に自分がどこにいるのか忘れてしまう瞬間がある、
私にとっては店というより「みわ」というひとつの世界。
入り口は、高田馬場から1回乗り換えて12分、
駅からすぐだ。
2010年10月06日
六本木「HONMURA AN」
駅から近く土日祝日もやっていてくれるので
大変便利な六本木「HONMURA AN」。
便利なだけではない。
さすがは「本むら庵」、
蕎麦が美味しすぎる!!
今日はお蕎麦の前に「みぞれ豆腐」。
豆腐の上にとろろとおろし。
汁の中になめこが隠れている。
組み合わせとしては平凡に感じるメニューなのだが
食べてみて「美味しい」と思わせてくれる上手さがある。
濃厚すぎず淡白すぎない豆腐、すっきりした汁などが
全体を品良く調和させているのだ。
そして、「せいろそば」。
立派な大きなせいろに
真上から見るとところどころ下のせいろが透けるほど薄く盛られた蕎麦。
「六本木でこんなお蕎麦を食べました」
と写真を見せたら怒り出す人も出そうなカットも撮れるほどだが
せいろが大きいので量は決して少なくはない。
思わずため息が漏れてしまう、見事な粗挽き。
箸でたぐり、そっと近づくと
清洌な冷気に乗ってたまらぬ香ばしさが漂ってくる。
食べぬうちから「美味しい!」と小さく叫ばずにはいられない
甘美な香ばしさ。
口に含めば、その感動を裏切らないどころか
さらに甘美なパンチを連続してくるような、
濃厚な味わい、粗挽きのザラ粒感、膨らみ続ける香り・・・
粗挽きの粒は大きいのに輪郭そのものは実に繊細で
その貴い舌触りといったらない。
最初から最後まで、目はまとも開かずショボショボのまま、
愛する人を引き止めるような必死さで
一生懸命ゆっくり食べた私であった。
いいことばかり書いていて現実味に欠けるといけないので
敢えて書くと、今日に限ってはコシというものが全くなかった。
噛むと何の抵抗もなく、ハラリと噛み切れてしまう。
「だから何?」
私は心中でつぶやき続け、この蕎麦をかばい続けて食べた。
自分で突っ込んで自分でかばうという阿呆らしい行為だが
コシのなさなどどうでもいいと思えるほど感動させてくれる蕎麦だった。
その香りと味わいの中で、繊細な粗挽きを噛み締めた瞬間
何の抵抗もなくハラリと途切れてしまったことは
この蕎麦においては魅力のひとつのようにすら感じられた。
美しい人の傷跡のような。
以前やっていた「田舎そば」をやらなくなってしまったことは
本当に悲しく是非復活を希望するところだが
ほぉ〜、それはもしやハシゴしろってことですね?
と前向きに解釈することにしよう(^^)
でもこれだけ美味しいの食べた後では
2軒目選びも、困っちゃうなあー
2010年10月04日
ライブのお知らせ
HPでも告知しておりますが
11月に予定しているライブのお知らせです☆
日時: 2010/11/24(水)
19:30open 20:00start
場所: 阿佐ヶ谷 Yellow Vision(地図)
出演: 國仲勝男 gui.
佐喜真淳 pianica
高遠彩子 vo.
charge: 2,500円+1drink order
完全即興ライブとなります。
会場は駅からすぐ、レンタルビデオ店の隣です。
11/11にもイベントでのライブ出演が決定しています。
そちらのお知らせはまた後ほど!
(写真は、下北沢のDEP'Tで買ったメキシコの鏡でーす)
2010年10月03日
埼玉・蕨「玄 田むら」
「蕨」駅から徒歩3分ほどだが、歩いた試しがない。
タクシー?
いえいえ、嬉しすぎて、楽しみすぎて、
つい小走りになっちゃうんです、「玄 田むら」!
毎回お決まりで必ず頼むのは
「せいろ」と「粗挽き」を二種食べられる「味くらべ」。
名前も楽しくていいじゃあありませんか。
今日の「せいろ」の香り高さには、全く参った!
箸先せ寄せた香りのすばらしさにまず両目をつぶり。
しっかりと角の立った輪郭を噛みしめて
その強靭なコシと味わいの濃さに肩に力がぎゅううと入り。
あ〜〜来てよかった、今日このお蕎麦が食べられて本当に良かった。
なんて美味しいんだろう!
こちらは粗挽き。
粗挽きはなくなってしまうこともあるのだが
今日はまだあってよかった。
ザラつぶの見た目だがつるつるとすべらかな食感。
今日はいつもの溢れんばかりの香ばしいかぐわしさと比べると香りは淡めだったが
噛みしめるとつるつるのなかにごく微かな粗さが感じられるのが面白い。
おつまみもいろいろ充実しているし、
お店の人も本当に感じが良くて居心地が良くて、
ここは来る度に「あー来てよかった」としあわせに浸れる、大好きなお店だ。
「蕨」駅は上野から京浜東北快速だと22分。
駅から「小走りで2分」ですよ〜
(本日はカメラが無くて携帯カメラだったのがちょっと残念(>_<))
2010年10月02日
静岡・浜松市「陶そば 正」
東京から行くと静岡県の中でもいちばん遠い浜松市。
その浜松市の中心部からもかなり離れ
もう少しで愛知県という奥まった場所に、店はある。
おいしいみかんで有名な三ケ日町である。
こんなところに店があるのか・・と不安になったころ
道路端にぽっと現れる小さな看板。
うわーあぶない、
危うく見逃すところだった。
そしてお店はこの奥・・・?
ジャーン。
どんなに店らしくなくとも、
看板があるからには店なのだろう。
まるで不法侵入者の気分で、
意味もなくワクワクニヤニヤしながら奥へ回ると・・
こんなところにガラガラーっと入っていくなんて
何とも楽しいではないか。
扉を開けると正面に出迎えてくれるのは
みかんである。
さすがは三ヶ日、いいですねぇ〜
せっかく「試食用」とあるので
皆、手に手に半分のみかんを持って入店。
食前に生野菜や果物で酵素を摂るって、
とってもいいことなのだ。
今日、夜のお客は私たち4人だけの様子。
静かな夜、たった一人で迎えてくれた店主は
いつもこうして一人きりで営業しているらしい。
「陶そば」と名乗るだけあって店主は陶芸家でもあり
店の器は全て店主の手によるものである。
話好きの店主の一番のおすすめはそばがき。
どろーりとした食感の粗挽きそばがきである。
そして蕎麦職人であり陶芸家である店主は、
なんと店で出す山菜や野菜も
自分で作っているというのだから驚かされる。
この畑の恵みの楽しいこと!
海老や蕎麦餅の天ぷらと共に皿を飾るのは、
店主の畑からやって来た
あばしゴーヤ、ぬるっぱ、タラの若葉、
みょうが、ししとう、オニザンショウ(イヌザンショウ)。
聞いた事のない野菜は、店主も最初は聞いたことがなかったそうで
初めて育てた時の話などを聞きながら
採れたての野菜を食べる贅沢。
蕎麦は2種類、「並挽きの二八」と「粗挽きの十割」。
「二八が十割のあとでは味わいとして絶対に物足りなくなっちゃう」
という店主の勧めで、まずは「並挽きの二八」から。
二八は2枚を4人で分けると言ったら
二山ずつの小山盛りにしてくれた。
その心遣いに、皿の上の二つの小山が
一層美しく感じられるではないか。
店主が陶芸家という先入観があるからか、
二八の肌はさながら信楽のような素朴な風情。
言われた通り味わいは淡いのだが、
香りがとても不思議・・・スイカのような香りである。
瓜に似た爽やかな香りがする蕎麦はたまに出会うのだが
これは初めて。
面白いなあ。
「粗挽きの十割」は
二八よりもしっかりと、凛とした印象の輪郭を重ねながら
うず高い小山盛りでやってきた。
若干こちらの方が全体の色が濃く
素朴な肌に散る粗挽きのホシが目にまぶしい。
箸先にたぐると、おおー、確かに!
二八にはなかったかぐわしい香りに嬉しくなる。
口に含むと、凹凸のある肌がザラザラーと口中を撫でるのが実にここちよく、
噛みしめると穀物の旨みがじわっと舌の上に広がる。
しかも二八にも添えられてきた正方形の「蕎麦板」、
これがとても美味しい。
蕎麦が売り切れてしまった後に来たお客さんに
食べてもらったら「美味しい」と喜ばれた、というのがはじまりだそうだが、
噛みしめると蕎麦切りよりも味わいが深く感じられ、
なんとも嬉しいおまけである。
店主の楽しい話にすっかりくつろぎ、
ようやく帰るときに見かけた、この店の器たち。
陶器のプロだけに、
毎日しっかり完全に乾かすという手入れをここでしているそうである。
自分の畑で採れた野菜と、
自分で粉を挽き手打ちした蕎麦。
それを自分の手で作った器に並べ、来た人に食べさせるということを
ここでたった一人で、毎日している店主。
もうすぐこのあたりではこれが採れる季節だ、
来年はこんなものも育ててみようかと思っている、
と実に楽しく忙しそうだ。
語り口はちょっと面倒くさそうながら
人懐こく非常に親切なところが味な店主である。
おいしいものと、楽しい話と、おみやげのみかん。
入るときも店と思えなかったが
店を出ても尚、店だった気がしない。
三ヶ日の、いい夜だった。
(Sさん、こんな遠くまで連れていってくださってありがとう!)
2010年10月01日
静岡・富士市「蕎麦切り こばやし」
たどり着いてみれば、長年思いを寄せていた店は
住宅街の奥の、自然のままの緑の奥に
ひっそりと動物のように隠れていた。
しかしいいものはどんなに隠れていても
放っておいてはもらえない。
朝11時、開店直後に入店すると店内はすでにほぼ満員。
最後にひとつ空いていた卓に何とか案内してもらえた。
テーブルには、この店で打ち分けている蕎麦粉のサンプルがおいてある。
「吟醸黒」「風味」「雅」「香味」。
それぞれのネイミングもワクワクを一層あおるではないか。
(板で出来たメニューと言いネイミングといい、ちょっと「たか志」を思い出すなあ♪)
「吟醸黒」は土日祝のみ、
「雅」は日月火のみとのことで、
本日ある蕎麦は「風味」「雅」「香味」「せいろ」、
それとは別に壁に貼り出された「十割」もあった。
なんと5種類も、「蕎麦切り こばやし」の蕎麦が食べられるなんて!
しかもこんなにお腹空いてるなんて!
これ以上のしあわせがどこにあるだろうか・・
(否いろいろある。こばやしの隣に住むとか)
厨房は開店直後からてんてこ舞い。
店員の女性達と店主とのオーダーのやりとりも真剣勝負だ。
いつものように「順番はおまかせで」と頼んだら、
最初にやって来たのは「十割」であった。
感激の対面。
陶皿の上にこんもりと、完璧な美しさで盛られた蕎麦。
端正な輪郭が描く、流れるように鮮やかなラインに眼を見張る。
しっかりと、いかにも密度の濃そうな肌だ。
たぐり上げると、フワーッ!
目の覚めるようなかぐわしさ。
美しく清らかな、例えるなら上質のミルクのようなイメージ。
乳製品の香りがするわけではなく、「白くクリーミーなイメージの香り」なのだ。
噛みしめると、見た目以上の非常にしっかりとしたコシが楽しめる。
いやぁー、なんておいしい十割なのだろう。
2枚目は、「雅」。
な、なんという美しさ・・・・
自然光に透かし見たその肌の衝撃。
繊細に震えるライン、
灯篭にめぐる影のように無数に散りばめられたホシ。
そのあまりに儚く貴い、ビスクドールのような姿に
「この美しさを守らなければ」という保護本能まで働きそうである。
守るどころか頭から(?)食べてしまうのだが。
口に含むと、ひんやりザラザラ〜と口中を流れる心地よい感触。
香りも味わいも淡いのだが、
自分まで磨かれ透き通っていくかのような
清らかな食感である。
3枚目は「せいろ」。
十割よりもなめらか、やわらかそうな見た目・・・
と思ったら、意表を突かれてつるつるパッキパキの輪郭を持った
これまたすごいコシの蕎麦であった。
味わいは、これはやや熟成かな?
香りにおいても味わいにおいても、
熟成がかったムワッとした甘さが楽しめた。
さあいよいよこの時がやってきてしまいました。
私はあなたに会いたかったのです。
手挽き極粗挽き太打ちの「香味」!
ウワー・・・
想像以上の美しさに、完全白旗降参である。
平伏したい。でも食べたい。
もったりとふくよかな輪郭が描く、なめらかな曲線。
明るく薄いグレーの肌には純白のホシが無数に浮かび、
見入ればところどころがごく淡くピンク色を帯びている。
その「ピンクがかったグレー」の美しさと言ったらない。
藤田嗣治の「すばらしき乳白色」を思わせる色彩である。
この世に「香味」と私、二人きりとなって口に含めば
ああああ、よかった。
見た目も最高なら味も最高である。
一目惚れした人が自分の理想の人だったような喜び。
ふっくらとした歯ざわりの中からこぼれる、
穀物の品の良い香りと味わい。
あまりのときめきに、もう目はろくに開かず
ショボショボしながらウンウン頷きながら食べる私。
ああーしあわせだぁー
ラストは「風味」。
手挽き粗挽き細打ちの蕎麦である。
「香味」よりもほんの少し黄味がかった細打ち。
香りは「香味」とは微かに違う表情。
ふくよかで澄み切った味わいの「香味」と比べると
こちらの方が少しくせのある味わいである。
しかしなんといっても「風味」「香味」は手挽き。
それぞれの個性は
きっと日々微妙にうつっていくものなのだろう。
そう思うと、今度は吟醸黒が食べられる土日に来たい、
そばがきが食べられる夜にも来たい、と
今食べ終わったばかりなのにどうにも落ち着かない。
最後まで、全く存在すら忘れていた汁は
(いつもながらすみません・・・)
鰹の風味も濃厚な、こっくり個性的な甘さのもの。
駆け抜けた蕎麦時間に思いを馳せつつ、
蕎麦湯とともに楽しむひととき。
ああ、また会いに行きたい。
住宅街の奥、緑の奥の、あの蕎麦に。