雪に埋れた、古き良き温泉街の面影。

あたりは静かだが、この店の中からだけ賑わいが伝わってくる。
この地で40年愛されてきた蕎麦の名店は、
営業時間が朝11時から深夜1時まで(中休みなし)ということに驚かされるが
以前はなんと深夜3時までだったという。
理由は温泉街ならでは。
昼間は観光客や遠方からわざわざこの店を目指してきてくれるお客さんがやって来る。
夕方は、お客さんと仕事前の芸者さんがやって来る。
夜は飲んだ後のお客さんがやって来る。
そして深夜12時過ぎには、仕事明けの芸者さんがやって来る。
いくらみんながやって来るったって
その全てに応えるのは不可能と考えるのが普通だと思うのだが・・
一体店主はいつ寝ているのか心配になってしまう。
こぢんまりと居心地の良い座敷に通される。
隣は広間で、酔客の笑い声が雪の夜の趣を深める。

そしてこれまた驚くべきことに、この店にはおつまみの類が一切ない。
あるのは「そば」「うどん」メニューと甘味のみ。
「天せいろ」はあるが「天ぷら」という単品メニューはない。
ビールと日本酒(八海山)はあるのに酒肴らしきものがない。
ではお隣の宴会の人たちはどうやってお酒を飲んでいるのかと思ったら
前日までの予約でコースメニューがあるのだった。
それ以外のお客さんは皆スルッと蕎麦だけで帰るらしい。
温泉街ならではの蕎麦文化に触れた思いだ。
スルッと蕎麦だけ、でももちろんいいのだが
せっかく来たのだから「いけや」の時間をゆっくり楽しみたかった私は
「そばがき」も頼むことにした。
お通しの蕎麦味噌。

全てがビシッと整った正統派の美しさ。
奥は次にやってくる「そばがき」用の薬味と海苔だ。
「そばがき」

意外にも「そばがき」は椀がき(鍋でなく椀の中で作るそばがき)であった。
しかも椀の縁からはみ出さんばかりのワイルドな風貌。
べったりねっとりギッチリとした食感で
香りはごくあわい甘い穀物の香り。
薬味が豪華で嬉しいのでせっせと「海苔巻きそばがき」を作って楽しく食べる。
足利一茶庵出身の店主が打つ蕎麦は
「せいろ」「田舎」「更科」の三種類。
しかし大雪の影響でしばらく「田舎」はおやすみとのことなので
「せいろ」と「更科」を頼む。
「更科」

端正な細切りの平打ち。
量がしっかりあるのは嬉しいが
なんとなく真ん中にギューとくっつきすぎなような・・・
ギッチリかたまったお蕎麦・・?

うわー!大変失礼いたしました!
「ギッチリかたまった」なんてとんでもない。
食感も、香りも、素晴らしく美味しい更科でありました。
つるつる過ぎない、するりとした肌。
端正な細打ちの輪郭線、ほどよいコシ。
何よりも、何よりも香りが素晴らしい。
美しい更科の香り!
そう、更科って、こんなふうに美味しいお蕎麦なのですよね〜〜
「せいろ」

これまた繊細な平打ちそばが
ぎっちりギューとくっついて盛られてやってきた。

ごく淡く漂う、ほんのり甘いきれいな香り。
香りも味わいも淡いのだが、何ともしみじみとした美味しさがある。
この美味しさは何なのだろう?と不思議になるほど、幽き趣のある美味しさ。
極細平打ちのしなやかな舌触りも、優しいコシも素晴らしい。
福井大野の蕎麦。
実は「田舎」も同じ福井で打っているそうなのだが
この時は大雪の影響で量が仕入れられずやむなく「田舎」だけお休みにしたそう。
親切な店主が蕎麦の実や自作の漆器を見せてくれる。


一茶庵の流れを忠実に受け継ぐ店主は漆器製作も長年続けている。
この店で使われている立派な漆器類は全て店主の手によるものだったのだ。
営業時間を聞いただけで殺人的忙しさなのに信じられない働きぶりである。
「もうとても体がもたなくて、昔みたいに深夜3時までなんて無理なんです」
と、さも疲れたような笑顔で話す店主だが、その今でも深夜1時までやっているのだ。
どれだけ頑張る人なのだろう。
窓からは庭越しに蕎麦打ち場が見えている。
打ち場はこの同じ建物、角を曲がった先にあるのだが
別棟に製粉と漆の作業場があるそうだ。

帰りに見ると、入口付近は店主の漆器作品展示コーナーになっていた。
目まぐるしく働いていた奥さんがパッと顔を上げ、爽やかな笑顔で
「ありがとうございました」と丁寧に挨拶してくれる。
冒頭で書かなかったが実は今回私は雪の中で迷子になり
この店の娘さん(だと思う)に迎えに来てもらわねばならなくなった。
甲斐甲斐しい感じの娘さんは雪の中上着も着ずに小走りでやってきてくれた。
コートを着ていても寒かった私には
やっとたどり着いたこの店の灯りが昔話の家のようにあたたかく見えた。

私が温泉街で見た、雪の夜の話。
温泉ってのは大勢で宴会に行くところ、などという不届きな考え方をしていた時分で、
千鳥足の数人で旅館を抜け出し、さすが有名温泉地だけあってそば屋も深夜営業だねぇ、なんて……。
しかし27時まで開けていた頃があったとは存じませんでした。
その後どうにか更生して(笑)、温泉は宴会しに行くところじゃない、そば屋も千鳥足で連れ立って
暖簾をくぐるなど言語道断、と考えを改め、このお店にも7年ほど前の昼にシラフで食べに行きましたが、
あれーこんなに平打ちだったっけ?、と画像を拝見して首を傾げてます。
蛇足ですが最近は温泉でもそば屋でもソムリエだか何だか得体の知れない資格を名乗る人種の一団が
幅を利かせているのを見掛けるたび、ああ昔の我々も妙な肩書こそ持たない単なる酔客ではありましたが、
温泉やそば屋で他のお客さんやスタッフさんにさぞかし眉を顰められていたんだろうなー、と
気マズく感じること多しです。
「寒いから、あったかい」って本当ですよね・・(^-^)♪
Z33さま
とても面白く拝見しました。素敵なコメントありがとうございます。私は、Z33さまのその思い出全てが素敵だなあと思ってしまいます^^ 私の知らないいろんな景色たち。
翠巒さま
素敵な情報をたくさんありがとうございます♪群馬は隠れた名店がいっぱいですね。ちなみに私は群馬という県名もかっこよくてとてもすきです(^o^)