2012年11月15日

新橋「多佳津」が閉店・・・


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新橋「多佳津」が閉店したと聞いて
少なからずも感無量の思いである。

自分の中の蕎麦への愛を自覚した頃から
幾度となく暖簾をくぐった店。

学校の帰りに一人で「多佳津」に行き
オジサマたちで満員居酒屋状態の店の扉を開けたら
それこそ店中に「何が迷い込んできたんだァ?」という顔で見られたこともあったっけ。

開店時間が早く中休みもないので
静かな時間もずいぶんと楽しませてもらった。


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あの独特の、すべらかで極細かいざらつきをもったビスクドールのような肌。
1本1本が独立したようなハリのある太打ちの輪郭線。
甘く力強い香り。

もうあの蕎麦には会えないのだ。

あの場所に流れる時間も、もうない。



今年は四谷の蕎麦善も閉店してしまったし



さみしいなあー







posted by aya at 06:19 | Comment(6) | TrackBack(0) | 東京の蕎麦>港区 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
>四谷の蕎麦善も閉店してしまったし

そうなんですかー...
三栄町の独特な通り、もうあそこも行くことはなくなったなぁ...

新しいお店が出来る。古いお店がなくなる。
世の中の移り変わりが蕎麦屋に凝縮されているような。

ただ、さびしいんですよね。
Posted by よしの at 2012年11月15日 13:12
こうなってみると、レジ脇で売っていた店名入りのライター、買っておくんだったと思いますなぁ。タバコのみじゃないので、ただで貰えるマッチは貰うけど、買う必要は無いと手を出さなかったんですわぁ。
Posted by at 2012年11月15日 15:26
えぇ〜!!
蕎麦善さんも閉店されたのですか。。
しばらく足を運んでなかったけど、本当に残念です。
Posted by 25¢ at 2012年11月15日 15:28
あ、ごめんなさい。今度は名前を書き忘れた。
間違えたり忘れたり、おかしいな。
Posted by TC at 2012年11月15日 15:33
正直に白状してしまえば、「多佳津」 ずっと長いこと行って無かった
 色々な蕎麦屋に行きたいから、どうしても何度も何度も行くお店は自分の感性にとって相性の良い店になってしまう

ayaさんと蕎麦屋(蕎麦でもあるが、私の中では「蕎麦屋」ですが)に対してのある意味で同じような頃、私も幾度もおじゃましました、そして楽しい時間を過ごさせてもらいました・・・

蕎麦屋を歩きすぎたのかも・・

小うるさく「色が悪いな」「香りが無いな」「甘みがないな」「喉越しがなんか」心の中で「〜〜な〜んでい! 大したことないな! はずれじゃ!!」
 そんな蕎麦屋歩きを、しこたました・・・
  そんな自分が・・・何か・・・チョット・・

たんと歩いた蕎麦屋

 心は 走馬燈

   色々な思い出が

     もの悲しく

       浮かんでは消える

本当

  さみしいなぁ〜〜〜
Posted by 而酔而老 at 2012年11月15日 19:34
よしのさま
>世の中の移り変わりが蕎麦屋に凝縮されているような。
名言ですね!大袈裟と言われようとも、私もそんな感じがしてしまいます。

>ただ、さびしいんですよね。
これも胸にしみました。そう、たださびしいんです。


TCさま
さみしさの中にも、TCさまらしい細かい可笑しい視点に元気が出ます〜(^^)。ライター、そんなの知らなかった!やっぱり隷書体だったのかな〜?


25¢さま
蕎麦善、私も何度も行った写真や記録をアップしないままでした(多佳津もでしたが)。もう思い出の中、心の中のお店になってしまいましたね・・


而酔而老さま
過ぎゆくものは止められない。
私が蕎麦を文章にするのはただひたすらその理由からです。
形として残すことのできない蕎麦というもの、お蕎麦屋さんでの時間というもの。
この掌からこぼれていってしまうこんなに素敵なものを、少しでもいいからなんとかどこかの箱に仕舞いたい。
而酔而老さまの心の中の箱は、きっとキラキラいっぱいでしょうね。
Posted by aya at 2012年11月16日 11:13
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