新橋に現わる新星は
既に高みで揺ぎ無き輝きを放っている。
隠れようにも誰も放っておいてはくれないだろうに
名店は限界まで路地の奥に隠れ、
通りを見渡してもその姿は見当たらない。
店前に立ってやっとそれと気づくストイックな佇まい。
真ん前に立ったってまだ看板の文字が確認できないほどだ。

カウンターのみの店内は決して広くはないが
壁の色木の色、全てが温かみのある色でシンプルに統一され
広くないことがかえって心地よい。
大木の中の、秘密の小さな美しい部屋に招かれたようだ。
よく見ないと気づかぬほどの自然な曲線を描く
一枚板の美しいカウンター。
そのすべらかな木肌は
そこに置かれたものを実に美味しそうに演出する。
「諏訪泉 富田 純米生原酒50」

今日は偶然他にお客さんが居ない時間であったことや幸運が重なり
夜のおつまみの中からできるものをオーダーすることが出来た。
「鶏とアボカドの山葵和え」

「鶏皮ざく」

鶏皮をこんなふうにさっぱりとサラダ仕立てで食べられるのは嬉しい。
緑色のジューシーな野菜は瓜?冬瓜?と思ったらトマト!
とても楽しく美味しい一皿。
そして早くも時は満ち。
私の胸の高なりはもはや蕎麦待つ丘の鐘の如くである。
(意味不明だが個人的にはまさに!)。
なんたってですよ、
この「大愚」のお蕎麦は全て手挽きなのです。
えーっ ホントウですかぁ〜
こんな都会の真ん中で、そんな夢みたいなことってあるんですかぁ〜
大愚の、「せいろ」。


手びねりの陶器のような素朴な輪郭線。
その肌に浮かぶ無数の白い夢と陰影。
しばらく眺め入っていたいほど味わい深い眺めだが
蕎麦は食べるもんだ。食べる!
うわー!
なんという・・
夢のような、美しい香り。
はじめ淡いが薄衣が重なっていくように
どんどん深まっていくかぐわしさ。
見たとおりの素朴の舌触りの肌を噛みしめると
絶妙の弾力あるコシが迎えてくれ「参った!」。
しかもそのコシから溢れてくる味わいときたら何でしょう。
あまりに美しい、美味しい味わいなので
その味を舌の上にぜんぶ広げて味わおうとしている貪欲な自分がいる。
こんな気持ちになったのは久しぶり、いや初めてかも知れない。
ああーおいしい なんだこりゃ おいしすぎる
大愚の、「田舎」。


潔さを感じるほどの、この肌の黒さ粗さ。(凄い!)
ずっしりと重なる姿の迫力。
箸先にたぐりあげ、嬉しさと驚きで思わず笑顔になる。
この、めったに無い、ゴマやピーナツよりも更に深い、
やんちゃなまでの香ばしさ!
香りはがっつりだが味わいはすっきり。
甘みもあまりなく、それがかえってこの蕎麦の美しさを際立たせている。
ムッチムチのコシと弾力、そしてなによりこの香ばしいかぐわしさを
すっきり洗練のうちに味わえるのだ。
ううう・・・
この「せいろ」にこの「田舎」・・・
どっちが好きかと聞かれても全く選べないほど
それぞれが素晴らし過ぎる。
またふたつの対比も素晴らし過ぎる。
すべて手挽きだけに売れすぎたら
店主が寝る時間がなくなってしまうのではと
要らぬ心配をしたりもするが
すべて手挽きだけに行く度に違う輝きを魅せてくれるだろう。
壁の振り子時計がなめらかに刻む時を見つめながら、
蕎麦湯。
名店は、路地の奥。
その日にしか出会えない蕎麦に、出会いに行ってください。
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ブログのコメント表示機能の不調らしくコメントがなかなか表示されず失礼いたしました!!(私の環境では今も表示されていません・・)
雑誌に載るとしばらく行かれない、本当にそうですよね〜。私は以前別の店でそうと知らずに発売日に行って、どのお客さんもその本を持っているので驚いたことがあります。入れただけラッキーでしたぁ(^^;;)
せいろと田舎そして地鶏太打ちで3枚も食べてしまいました。(胃潰瘍をしたため胃が小さいのですが)
そば前は、新潟鶴齢をいただきました。
今日の昼ですけど
いままで食べた蕎麦は何だったのかと思うぐらいおいしかったです。ありがとうございます。
うわ〜っ♪素晴らしいお昼だったようですね!
胃が小さいけど3枚、わかります〜〜
美味しいものはなぜか!!ですよね。
でも・・胃潰瘍ですか(;_;)胃は私も弱点ですが、お大切になさってくださいね。