2010年12月11日
柴又「日曜庵」
先週某日、東京に大風が吹いた日。
風が去った後の掃き清めたような爽やかな青空に
帝釈天の「瑞龍松」の映えること、勇ましいこと!
名木や盆栽、襖絵など、丹精した松の姿に滅法弱い私は
珍しくも「蕎麦屋さんの暖簾をくぐる前からメロメロ」。
食べないうちから、お蕎麦の香りをかいだだけでメロメロってのは
日常茶飯事ですがね・・
ああ瑞龍松さま、惚れてしまうわぁー
小さな駅も、かわいらしい参道も、
柴又、いいとこだあー
しかも金・土・日は、「日曜庵」がある!
帝釈天の境内から徒歩1分。
路地に入ったときからもう、店主の演出は始まっている。
南ヨーロッパ風の漆喰の壁に
可愛らしい重厚な扉。
そこにはためくキャンバス地のストライプの暖簾が
なんとも「日曜庵」らしい洒落ぶりだ。
建物も、空間も、料理の一つ一つも。
次々と繰り出される店主の美意識、演出の心憎さ。
お酒は直径20cmはありそうな、広々と大きな片口で。
黒い水面は夜の湖。
川越のおぼろ豆腐「なごり雪」も、
「日曜庵」の演出でさらに美味しい。
今日のは特に、スーっと羽根のような切り口に見惚れるばかり。
今日の蕎麦の実。
何を持ってきてくれても、その時選ばれた皿、分量に
この店のセンスが出てしまう。
若草色の粒たち。
「そばがき」。
これがなんとも素晴らしい!
ぽってりと箸先にとり寄せた香りのかぐわしさ。
「おいしいぃぃぃ〜〜〜〜!」
思わず声に出てしまう。
口に含むと、これは夢?
私は雲の上の人?
類を見ない極上エアリー。
ふわっふわっの空気のような天使にひょいと抱き上げられたかのような。
軽いのに、素朴な味わいはしっかり。
ああーおいしいーーー
「そばがきはこれでどうぞ」と出してくれた
紫蘇オイルと醤油をブレンドしたもの。
すみません、相変わらず全然言う事きかない不良なので
ウホウホ夢中で食べてたらつけないうちになくなっちゃいました・・・
でもまたまたこの演出ぶり。
素焼き風の皿のせいで、
オイルと醤油が映す天窓の光にも心打たれてしまった。
さて、待ってました御本尊様。
ああ、うれしい。今日はいい日だ。
「大風に清められた青空」、「天に登りだしそうな瑞龍松」、
そして日曜庵の「せいろ」!!
おなじみの赤いお弁当箱のような蓋付きのせいろ。
どきどき開けると出会えるこの瞬間がたまらない。
素朴な色ムラの美しさに感激しつつ口に含むと
素朴な穀物感が口の中に静かに広がる。
なんと貴い蕎麦だろう。
「粗挽きせいろ」は白木のせいろで。
この白木のせいろは四隅に銀細工の縁があるのがなんともお洒落。
(こういう銀細工、大変に私好みです)
そして実は銀細工を愛でる心の余裕が出来たのはずっと後のことで、
この魅惑の肌はどうしたらいいのでしょう。
危険なほど美味しそう。ああ早く食べたいでも見つめていたい!
待ちきれず口に含むと、ザラザラした舌触りがたまらなく心地よく、
そっと噛みしめるとふっくらとした蕎麦の甘味が溢れ出す。
そして、「田舎せいろ」。
圧巻の野趣。悩殺の洗煉。
高台つきの美しい笊の上の小山盛り。
味も然ることながら、ひとつひとつの世界の完璧な演出に
私はいちいちノックアウトされてしまう。
無骨さの全くない、端整な野性味。
むわあーっと力強い香りと濃い味わいを追いかけて
あっという間に食べてしまい、たった今完璧な姿で提示された世界は
私の眼の前から跡形もなく消えてしまった。
蕎麦湯と、食後の梅のデザート。
デザート皿の金継ぎは店主の手によるものだが
私は最初山の絵のデザインかと思ってしまったほど、
この皿と梅とに合っている。
全く、「日曜庵」の美意識の高さときたら。
店主は繰り返し言う。
「全部自分の好きなようにできる。こんな面白い商売はない」
こんなにもはっきりと素直に、自分の仕事への純粋な愛着を語る人を
私は久しぶりに見た。
テレビ等のCMカメラマンだった店主。
今は誰の注文にも左右されず、
自分の感性の赴くまま、自分の好きなものだけを追い求め
次々と形にしているのだ。
その一皿一皿は、
それぞれがアングルと状況を計算し尽くされて撮られた映画の1シーン。
眼の前に置かれた瞬間にはじまり
食べてしまうまでの儚い物語なのだ。
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