一日の中で、私が一番好きな時間。

花も大地も空気も青く染まり、
山が黒々とその威を際立たせ始める黄昏時。
予約した時間に店に到着してみると
当の主が居なかった。
「それが・・さっき山に入ったきり・・」
と店の人が済まなさそうに言う。
いかにも、「職人館」の店主らしい。
愉快愉快、流石は佐久が、いや日本が誇る「職人館」である。

ますます楽しい気持ちで店内で待っていると、
嗚呼佐久が暮れていく。
窓からの眺めはそこに名画がかかっているのかのような美しさ。
ミレーがあらわしたかったのはこんな静けさではなかったか。

「おいー、すっかり遅くなっちまって」
入り口の方で声がしたと思ったら
店主が大きな笊かご一杯に山のお宝をどっさり抱えて帰ってきた。
父親が帰ってきて喜ぶ子らのように玄関に駆け出す私たち。
「わあぁーっ」という歓声。
この山のお宝、きのこの山!

トキイロラッパタケ 、サクラシメジ、カラスタケ、
そして本日一番のお宝は「ウシビタイ」とも呼ばれる「クロカワタケ」!
これは東京のフレンチやイタリアンの有名シェフ達の垂涎の的という名きのこ。
松茸だのポルチーニだの、どころではないらしい。
実際この素朴極まりない店主の口から
次々と有名料理人たちとの交流話が出てくると
この静かな田舎家に似合わぬ世界の話ゆえ最初はちょっと驚くかもしれない。
しかし大地と生きる店主の信念と才気に触れれば
ブランドシェフたちが憧れるのも無理がないことに誰しも納得するであろう。
とにかくこの採り立てきのこをこの店主の料理で食べられるのだから
もう私たちの胃は最初から「別腹」ならぬ「倍腹」状態!
店主さえ帰ってくれば厨房は一気に、急発進で動き出す。

山の恵みそのままに、オリジナルの彩り豊かなドレッシングを添えて。
紫ピンク色は「ビーツとブルーチーズのドレッシング」。
薄緑色は「バジルのドレッシング」。
黄色は「卵のドレッシング」。
これだけ色が美しいと「ドレッシング」という言葉そのものが美しく聞こえてくる。
私は蕎麦でも野菜でも「裸の方が好き」なのだが、
このドレッシングは楽しさに誘われて美味しく食べた。
特にトマトが絶品!
甘いだけでなく味わいが濃く酸味もちゃんとあり、
新鮮な程よいハリを持った皮とジューシーな果肉がたまらない。
「職人館」の野菜は全て付近でとれた有機栽培もの。
野菜好き、素材好きの私には、これ以上贅沢な食事はない。

採り立てきのこをおろしでシンプルに。
ああきのこって素晴らしい。
はなやかな香りも派手な味わいもなく、
静かに「伝わってくるような」ような美味しさ。
乗鞍のきのこ名人とイグチ採りした時の思い出も過ぎる。
お父ちゃんどうしているかなあ、会いたいなあ。

「キャッサバ芋で育ったポークと紅玉りんご、無農薬野菜のサラダ」
サラダに紅玉りんごというのが最初は意外だったが
紅玉が加わることでの酸味と甘さ、彩りのバランスの良さに
「真似したい!」と一同絶賛。
またこのポークの美味しいこと。
普段あまり肉を食べない私も動物のように喜んで食べた。
私見だが、店主の北沢さんは「赤と紫」という彩りを大切にする人である。
鮮やかで、ちょっとドキッとするような艶めかしさのある色合いが
自然界の、しかも食べ物にある感動。
紅玉りんごの赤と紫キャベツの紫に「北沢ヴィヴィッド」を見出した。

「さくらしめじとトキイロラッパタケのスクランブルエッグ」。
うう・・
うううう・・・・。
あのー、普段私、スクランブルエッグというものには興味が薄いはずなんですがね。
これは、何ゆえに、こんなに美味しいのでしょう?
美味しいー、なんで?なんで?と言いながら大量に食べた私を
同席の皆様お許しください。
きのこの魔法なのか店主の魔法なのか。
間違いなく店主は言うのだ。
「俺は何もしてねえ。全ての料理人は何も出来ねえ。
感謝するべきは、畑だ。その畑を作っている人だ。」

スクランブルエッグにはフォカッチャが添えられてきた。
このフォカッチャも地粉という贅沢。
おいもときのこ、2種のフォカッチャと側にあるのはオリーブオイルではない。
これまた地元産の「菜種油」というのが「職人館」流。
ひええー、この辺りには菜種の畑もあるのですか!
国産、しかも地元産菜種油なんて本当に凄い。

「クロカワタケのバターソテー」。
これについては・・私の筆で表現するには限界があるほどの美味しさである。
花びらの「北沢パープル」があしらわれていなければただただ地味な見た目の一皿だが、
とにかく一口食べた瞬間のテーブルに花火が上がったような一同の反応がすごかった。
私に至っては、あまりの美味しさにパンチをくらって珍しく押し黙り
しばらく口がきけなかったほど。
松茸がなんだ。ポルチーニがなんだトリュフがなんだ。
ぎゅうぅとこれでもかと濃厚で贅沢なきのこの風味。
ゴルゴンゾーラかパルミジャーノ・レッジアーノかというような、
コクのある乳製品が醗酵したようなしつこいほど芳醇な香りである。
これはおかしい。絶対に何かおかしい。
美味しすぎる。
確かにこのクロカワタケは相当凄いものらしく、店員の男性も
「ちょっとこれだけのは今年はじめてです。ラッキーですね」
と教えてくれたが、それにしてもおかしい。
「土や山がすでに料理してくれてあるものを、
俺は何も作れないから、皿に貼り付けているだけだ」
という世紀の名言のある店主は
「ただバターソテーしただけだ」」
と言うが、私がバターソテーしても絶対にこの味にならない自信がある。
すると食事が全て終わった後、何でもなさそうに
「ちょっと、蕎麦のはちみつを隠し味に足してみたんだ」と。
はあああ
蕎麦の。
はちみつ。
恐れ入ったとしか言いようがない。
この皿に残った汁はテーブルの「家宝」として「下げないでぇぇ」と死守し、
おまけに「先程のフォカッチャにつけて食べたい、もう一回欲しい」なんて我が儘を言い
皆で最後の一滴まで貪欲に堪能したのであった。
果たして恋人はあまりにもさり気なく、ひょいとテーブルに割って入ってきた。

華やかな山の彩りのあとに、この渋い風情。
ああやっぱり私が好きなのはこの人だ。

地粉十割、「職人館」の蕎麦。
黒めの肌は見るからにねっとりとたくましそうである。
空気を伝って感じられる力強い香りに誘われ口に含めば
見た目通りのしっかりとした歯ざわり。
ぬめるような感覚の肌を噛みしめるごとに
この地で生まれた蕎麦の香りが奥からあふれてくる。
すべての男性を「大将」と呼び、
畑への尊敬と信念に満ちた会話はどこまでも軽快で興味深く
そのまま全て録音したくなるような店主。
「おい!」でリズムを取る口調はやけにいなせでカッコイイ。
「土や山がすでに料理してくれてあるものを、
俺は何も作れないから、皿に貼り付けているだけだ」
日本が誇る、職人の館である。

オイルの香りで
何にもわからなかった
蕎麦が
それは次回の楽しみが出来たと思って、次回は是非、美味しいお料理と「裸のお蕎麦」に会いに行きましょう♪
私も、職人館は季節毎に行きたくなっちゃいます(>_<)!