2010年10月08日

井荻「蕎麦 みわ」


環八沿いの夜道に突如現れるその姿が
額の中の絵のように輝いて見えるのは私だけではないはずだ。

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「蕎麦 みわ」、その佇まいの完成された美しさ。
みわの蕎麦に会いたくてやってきた者の目には
眩しいほどに映る、楽しい世界の入口である。


ここの魅力はやはり、「手碾きせいろ」があること。
しかも今日は限定の「手碾きの田舎せいろ」もまだあるそうなので
手碾きが2種もある。
そして「せいろ」もある。
どうしよう、えーい全部ください!!

まずは「手碾きせいろ」から。

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美しい・・・
この美しさはまるで「みわ」の外観そのものだ、と今日は思った。

何と言うか、周りの景色を消し去るような
そこだけ浮き上がるようなひとつの「世界」なのだ。
ガラスケースの中の名陶のような存在感。
店主は、蕎麦職人でありながら
大変な美意識を持ったアーティストでもあることは間違いない。

その肌にホシが散っているというよりは
ホシの集合でその形をなしているといった、貴い輪郭線。
うすみどり、白、茜色、無数のホシにいつまでも見とれていたい思いだが
手が勝手に箸をとりもう香りを寄せている。

面白い。
一般的な蕎麦のかぐわしさとは違う、清らかな香ばしさだ。
小麦の香りがするわけではないのだが
田舎パン、カンパーニュの焦げ茶色のクラスト部分にも通ずる香ばしさ。
しかしこの店において「他で感じたことのない香り」に驚かされたことは何度もあるので
この香りもまた「みわ」らしい、と言っていいのだろう。
店主は重い石臼を自らの手で回し、今日はこんな香りを玄蕎麦から引き出したのだ。
ザラザラした肌が口中をめぐり、肌表面はしっかりとしているのに
かみしめると意外にもやさしい。

はあああ・・
ここは、どこだっけ?



2枚目は「せいろ」。

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この場面転換の鮮やかさ。
店主は蕎麦職人でありアーティストでありさらに演出家だ。
あの「手碾き蕎麦」のあとにこれである。
打って変わって端正な細切り、曇り無き肌。
品の良い薄緑一色のきめ細かな肌はうっすらと水分をたたえ
細切りだけにその輝きも繊細だ。

手繰り上げると、ムワァーと蕎麦の濃い香りに包まれる。
パキパキとしっかりした輪郭を持つ細切りゆえ
口の中でその束がほどける感覚がなんとも心地いい。
エンジェルヘアというパスタがあるが、
天使よりももうすこし凛とした
絵画の中の女性の繊細な髪束のようである。
クリムトの"water snake"の背景を泳ぐような恍惚。
北海道滝川産の十割は、
店主の手にかかると、こんな名役者に変身するのだ。


最後は、1日15食限定の、「手碾きの田舎そば」。

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またしても。
場面転換の妙に胸高なり踊らされ、演出家の思う壺といったところである。
あの清らかで端正な「せいろ」のあとにこの容赦なき黒さ。
乱れなき見事な輪郭線はこれもまたひとつの「作品」のようである。
やや透明感を帯びた肌は粗挽きのホシを一面にたたえ
近づかずとも濃厚な香りをこちらまで放ってきそうだ。

箸先にたぐり寄せた香りは意外にも淡かった。
澄んだ冷気にごく淡くふくまれた香ばしさ。
口に含むと粗挽きながら表面にたっぷりと水気を含んだ太打ちは
すべらかに口中を流れていく。
強靭なコシを噛みしめると、これはさすがの野性的な味わいである。
そしてできるだけゆっくり食べていると、
思った通り、全てが濃厚になっていくのだ。
香ばしい香りも、野趣溢れる味わいも。




来る度に自分がどこにいるのか忘れてしまう瞬間がある、
私にとっては店というより「みわ」というひとつの世界。


入り口は、高田馬場から1回乗り換えて12分、
駅からすぐだ。






posted by aya at 09:55 | Comment(0) | TrackBack(0) | 東京の蕎麦>杉並区 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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